2011年9月26日

平成23年度 グリーティングカード表彰式

9月26日(月)、館山市役所にてグリーティングカードの表彰式がとり行われました。

131点の中から、最優秀賞1点、優秀賞2点、優良賞7点の合計10点が選ばれました。
市内から9名の小学生が集まり、石井教育長から表彰状をもらいました。

表彰が終わった後は、みんなで記念撮影。

みんなちょっと緊張していた様子。
なかなか、教育長から表彰状をもらったり、お話する機会なんてないもんね。

131点の全ての作品がそれぞれ個性があり、もらった人の喜ぶ顔が目に浮かぶような作品ばかりでした。
そんな中で、10点に選ばれたみんなはすごい!!
お部屋に飾っておきたいなと思うほど、心がこもった作品ばかりでした。

入賞者の皆さん、おめでとうございました!!
来年度も是非、ステキなグリーティングカードを作ってくださいね。

自慢の作品と一緒にパシャリ♪こんな風に上手に作ってみたいなぁ!

2011年9月25日

出土遺物巡回展オープン!

以前のブログでもお知らせした、平成23年度出土遺物巡回展「房総発掘ものがたり」が、いよいよオープンしました!

今年度のテーマは、「古墳に眠る石枕」
石枕(いしまくら)とは、古墳へ死者を埋葬する際に用いられる石製の枕です。
千葉県内では、全国の出土例のうち約半数が発見されており、まさに石枕集中地帯といえます。

博物館分館2階 企画展示室

会場である博物館分館の企画展示室には、県内で出土した石枕が所狭しと並んでいます。
考古学ファンでなくとも、会場を出るころには、かなり石枕に詳しくなっているハズです。
  
ずらりと並ぶ石枕
      
付属品である立花なども展示されます

 また、館山市立博物館では、独自のトピック展示として安房の古墳時代について紹介するコーナーもご用意しています。
石枕・立花や石製模造品が出土する上総・下総と異なり、古墳時代の安房は土製模造品や洞窟遺跡が特徴とされています。
今回の展示によって、県内の地域性の違いを感じていただければ幸いです。
  
沼・大寺山洞窟遺跡出土の舟棺も出展!

ついつい、 「自分だったらどの枕が良いか?」と考えてしまうこの展示。
また、石枕の付属品である立花(りっか)には、思わず「かわいいっ」とつぶやいてしまうかも・・・。
考古学に詳しくなくても楽しめる展示となっていますので、ぜひお気軽にお出で下さい♪

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開催期間  9月24日(土)~10月23日(日)
休  館  日  9月26日および10月3日・11日・17
会    場  館山市立博物館分館(旧県立安房博物館・館山1564-1)企画展示室
観  覧  料  無料

2011年9月20日

防災の日特集4 「関東大震災と学校の被害」

関東大震災の記録は、当時の写真や新聞、各種報告書によって知ることができますが、そのほか学校に残された記録から、当日の様子を知ることができます。


富崎尋常小学校(現在の館山市立富崎小学校)震災記録


震災記録表紙(館山市立博物館蔵)

震災記録

富崎尋常小学校の記録を、現代文に読み下してみましょう。

(大正12年)9月1日

本日は、始業式のあと授業が2時間終わって大掃除、その後の職員会議中、午前11時50分頃、一度も経験したことがないような強い地震がありました。

全員で校庭に逃げ出ましたが、直立していることができませんでした。あるいは、腹這いをしたり飛んだりしました。

新校舎は意外に振動しませんでしたが、講堂と第二校舎は今にも倒れようとしています。神田先生と補習を受けていた生徒十数名が、校舎裏からかろうじて校庭に出てきました。

みんな、おののき恐れて、この地震の様子などを話し合っているうちに、非常を知らせる鐘を乱れ打つ音とともに、苦しみのために泣き叫ぶ惨たらしい様子が遠方や近くから聞こえてきました。津波のために数多くの建物が流れて失われてしまったと。

海が引いて布良港の海水がほとんどありません。大津波がさらに来るだろうと、付近一帯の人々は生きた心地がしませんでした。

ふと見ると、北の方向あたりに黒い煙がもうもうと天にのぼっています。もしかしたら、大きな山の爆発もあるかもしれないと疑いました。

幸いに本校は、職員・児童に異常がありませんでした。第二校舎と講堂の小さな破損だけでした。重要書類を校庭に運び出しました。

地震後30分して、津波が洲崎方面から平砂浦に攻め入って相浜海岸を洗い、さらに布良港付近を襲いました。



国登録有形文化財「巴橋」

大正12(1923)年の関東大震災で、巴川を逆流した津波は、
すごい勢いで巴橋を飲み込み、上流へと流れ込んでいったとされていますが、
石積みのこの橋は、津波の勢いにも負けませんでした。

そのために富崎村は、地震の被害より、津波の被害が大きく、流失戸数は数十戸、布良区十数戸。倒れてつぶれた家は少なく、絶え間ない地鳴りとともに、地震があったため大地は、薄氷を積むような心地です。


布良の津波の被害の様子

夕暮れになって、館山と三浦半島あたりに火の手が盛んなのが見えます。特に、三浦半島方面に真っ赤な火柱が立っています。月が淡く、下界を照らして月光でみる周辺の様子がものすごいのに、さらにどのような天変が来るのだろうかと徹夜で警戒しました。

富崎尋常小学校は、被害がさほど大きくなかったために、9月19日に授業を再開しました。


わずか2時間で消えた北条小学校の新校舎

大正12年9月1日、北条小学校(当時は、現在の中央公園にありました)では、夏休みも終わり、1,200人余りの児童が始業式を迎えていました。

その日は、児童数の増加によって、慢性的になっていた教室不足を解消するため、待望の新校舎の竣工・落成式が行われる特別な日でありました。

式典は、午前10時30分に無事に終了。北条町長、北条小学校長をはじめ関係者は、万感の想いで落成式に臨んだことと思います。児童みんなが、新しい校舎への期待と喜びを胸に、家に帰って行ったのではないでしょうか。

しかし、その1時間30分後、轟音ととも襲ってきた激しい揺れに、北条小の校舎はあっという間に倒壊してしまいました。長年の苦労の末に、やっと新築なった校舎はわずか2時間あまりで消滅。関係者の落胆の程は大きかったことと思います。



九重尋常小学校(現在の館山市立九重小学校)の仮設校舎

《関連記事》

防災の日特集1 「南房総の地震隆起段丘」1
防災の日特集2 「南房総の地震隆起段丘」2
防災の日特集3 「関東大震災-館山の被災者の恐怖の体験談」

10月限定 「たてやまを3倍楽しむクイズ本」が完成!!


館山を3倍楽しもう!

10月は「里見月間」として、「たてやまを3倍楽しむクイズ本」が出来ました。

クイズに答えて応募すると抽選でプレゼントがもらえます!!
かなりマニアックな内容ですので、実際に館山の街を歩き、答えを探してみてください☆


【里見ワールドクイズ】

◆ 開催期間  平成23年10月1日~10月31日(里見月間)

◆ 冊子配布場所
・ 館山市観光協会(館山駅東口)
・ 
ふるさと情報センター(館山駅西口)
・ 
まちなか交流館(館山銀座商店街)
・ 
館山市商工観光課
(渚の駅たてやま(旧安房博物館))

◆ クイズ内容
・「南総里見まつり」の山車・神輿を見たり聞いたりしながら楽しめるクイズです。
・「南総里見八犬伝」の資料が全国一収蔵されている
館山市立博物館本館・館山城(城山公園)の周辺を、身近な自然を感じながら楽しくめぐるクイズです。

◆ プレゼント 館山ファン宿泊クーポン券(1万円相当宿泊券×10本)、他多数

詳細(応募方法など)は、特設ホームページをご覧ください。

さあ!みんなでチャレンジしましょう!!

2011年9月19日

シリーズ社会科見学5 葛飾柴又・帝釈天

坂東三十三観音の霊場として多くの参拝者が訪れる館山市の那古寺。

江戸時代には、那古寺の門前に町場が形成され、寛政5(1793)年の記録には門前周辺の寺領の中だけでも、8軒の宿がありました。

文政10(1828)年頃の十辺舎一九の『小湊参詣草鞋』という道中案内記には、門前の飴屋の評判が書かれています。


十辺舎一九の『小湊参詣草鞋』

今回の社会科見学シリーズは、同じ門前町である東京都葛飾区柴又と帝釈天を紹介します。




葛飾柴又は、映画「男はつらいよ」の舞台になったことでも知られています。


京成電鉄金町線「柴又駅」前にある寅さん像

門前には昔ながらの街並みが残り、「男はつらいよ」の撮影で使用された店もあります。

参道の両側には名物の草だんごや塩せんべいを売る店、老舗の川魚料理店などが軒を連ねています。






柴又帝釈天題経寺は、寛永6(1629)年に開創された日蓮宗の寺院で、18世紀末頃から帝釈天が信仰をあつめるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになりました。

帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人が訪れるようになりました。




江戸時代から庶民の信仰をあつめていたことに加え、明治時代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』をはじめ、多くの文芸作品に登場しました。

昭和になると、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清さんが演じた車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになりました。

しかし、地元の方にお話しを聞いたところ、映画の終了以降、参拝客、観光客が年々減少しているとのことでした。

来訪者を増やために、数多くの取り組みが行われていることをうかがい知ることができるのが下の画像です。


チンドン屋

猿回し

さらに、京成電鉄金町線の車両には、葛飾が舞台となっている『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のラッピングがされていました。






柴又、寅さん、こち亀など、葛飾には全国的にみてもA級の資源が揃っていることが羨ましい限りなのですが、その上に大変な努力をされていることに驚きました。

館山に多くの来訪者に来ていただくためのヒントにならないかと、考えさせられました。


関連記事


千葉県無形民俗文化財「やわたんまち」の写真

千葉県無形民俗文化財に指定されている安房地方最大の祭り、鶴谷八幡宮例大祭「やわたんまち」の写真をご紹介します。

厳しい残暑の2日間でしたが、雨に降られることもなく、祭りは終了しました。

撮影日:平成23年9月18日(日)
撮影場所:鶴谷八幡宮境内
撮影者:K.Sさん


仮宮

仮宮

神明町

三軒町


南町

新宿

安房神社

鶴谷八幡宮

手力雄神社

山宮神社

山荻神社



2011年9月18日

JR113系車両の引退と昭和44(1969)年 鉄道の電化完成によりかなった館山市民の夢

国鉄時代から使用され、JR内房線などで活躍してきた113系車両の定期列車の運行が8月末で終了しました

113系近郊形電車

113系車両は、昭和38(1963)年に登場した近郊形電車で、東海道線や横須賀線などで活躍し、JR東日本では、房総各線が最後の活躍の場になっていました。

青とクリーム色の塗装は、横須賀線の名称から、“スカ色(しょく)”の呼び名で親しまれています。

平成19年のちばディスティネーションキャンペーンにあわせて、内房線を走った蒸気機関車D51は、普段は電車が通る架線の下を、ゆっくりと走りました。

SLの汽笛は、郷愁を誘いましたが、館山を電車が走るようになったのは、さほど昔のことではありません。

それは、当時の房総西線(現在の内房線)木更津-千倉間の電化が完成した昭和44年7月11日からのことで、千葉県内ではこの時はじめて、113系電車が導入されました。


昭和44年7月11日 電化開通初日の館山駅
昭和44年7月11日 電化開通初日の館山駅
165系急行形電車(左)と72系通勤形電車(右)

それまでの蒸気機関車が牽引した客車やディーゼルカーに比べて、電車の静かさは印象的だったようです。



房総西線を走っていた8620形蒸気機関車

房総西線を走っていたキハ10形気動車


昭和44年7月15日付の『広報たてやま』には、113系の試乗記が紹介されています。


昭和44625日館山駅 電車試運転の様子
113系近郊形電車(左)と165系急行形電車(右)


「静かに止まった電車に乗ると、新しいもの特有の香りがたちこめ、ピカピカしたシュラルミンと青い座席がほどよく調和してデラックスな感じと共に、これは日本の力だと誇めいた感情が流れる。座席はクッションもよく、静かな発車だった。快適だ。・・これは日本人みんなのものだ。大切にのらなければと思う。そして利用する各人が、気をつけたらどんなに日本中で経済()になるだろうか、などと考えが飛躍していく。」


昭和44625日館山駅 電車試運転の様子 
電車は急行形の165系。右はキハ55形気動車
ディーゼルカーに比べ電車の床は高いため、電化に合わせホームが高くなった
左端に見えるのは蒸気機関車のための給水塔

昭和44625日館山駅 電車試運転の様子 電車は急行形の165系

ディーゼルカーに比べ電車の床は高いため、
電化に合わせてホームを高くするための工事中の様子



昭和44年7月15日付の『広報たてやま』には、当時の時代背景を読み取ることができる記事がありました。

「あなたの力を万博へ」
万博まであと二百数十日となり、建設工事に猫の手も借りたい位。型枠大工、造作大工、とび工、土工、雑役など必要な人手を募集中です。

「ためになる夏季講座」
演題「アポロ11号時代」 アポロ11号に佐藤(栄作)総理大臣が次のことばを託して月に届けるという。「人類月到達の偉業を祝す。」まさしく、今は世をあげて宇宙科学の時代であり、現代に生きる誰もが知識と関心をもたねばならない。

「戦没者の遺族の方へ」
昭和12年7月7日以降の戦没者につきましてはすでに1200余名の英霊に対し、護国の勲功をたたえて、それぞれの勲章の伝達がおこなわれましたが、すんでいない方も一部おいでのようです。

戦後日本が高度経済成長を成し遂げ、それを国際的に大きく印象付けるための一大国家事業が昭和45年の大阪万国博覧会でした。

昭和44年はまさにその前年。その一方で、戦後未だ24年。
社会に戦争の痕跡が、色濃く残っていたことを読み取るができます。


当時、「東京から2時間」が館山市民の夢でした。


電化完成から3年後の昭和47年7月15日には、東京駅に総武線の地下ホームが開業し、館山駅と東京駅がはじめて直結されました。

それまで、房総西線の始発駅は両国駅でしたが、この日から内房線と改められ、東京駅始発の特急列車が運転されるようになりました。

皆さんご存知の特急「さざなみ」が、所要時間1時間50分と、はじめて2時間を切る時間で館山と東京を結び、市民の夢をかなえたのです。

電化された当初から、42年間内房線を走ってきたスカ色の113系電車。
40代後半以上の世代には、一抹の寂しさを感じる方もいるのではないでしょうか。


電化完成時、新たにつくられた館山駅北側にある留置線

発売直後に乗車券は完売しましたが、JR東日本千葉支社が、9月23、24日の両日、113系車両引退記念イベント「THE FINAL!! 113!」を実施します。

内房線・外房線コースの実施は、9月24日(土)。

両国を出発した内房線コース113系が館山駅に到着するのが、午後0時16分。両国に向けて出発するのが、午後1時44分

両国を出発した外房線コース113系が館山駅に到着するのが、午前11時47分。両国に向けて出発するのが、午後1時18分

ひょっとすると館山駅で、113系2編成が並ぶ最後の雄姿を見ることができるかもしれません。


113系の臨時快速「白い砂」
海水浴シーズンに、海水浴のメッカ内房の各駅と東京駅を結びました。
平成10年を最後に運転が休止されました。