青木繁《海の幸》フェスタ―富崎コミュニティのつどい―
青木繁が《海の幸》を描いた漁村、「聖地 布良」を再発見するつどい。
秋のやわらかい日差しの下、10月21日(日)、休校中の富崎小学校体育館を会場に、
青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会 が主催し、地域の力を結集し、開催されました。
参加者は150人、大盛況でした。
富崎地区レク大会が校庭で行われた後、伝説のドラマ「太陽にほえろ」のボン刑事で活躍した俳優の宮内淳さんが主宰する影絵劇団かしの樹が、神話と友情を描いた「走れメロス」を公演。
影絵の後は、対談「宮内 淳vs成田 均」です。
中央が宮内淳さん。右が成田均さん。 |
宮内さんは、幸せで豊かな生活を実践するための公益財団法人地球友の会の理事長でもあります。
館山市坂田のダイバー・成田均さんは、素潜りの世界記録保持者 故ジャック・マイヨールがイルカから学んだという生き方(地球との共生)を伝えるメッセンジャーです。
20年来の親友という2人が「海からの贈り物」を語りました。
午後からは、「新発見! 青木繁が滞在した明治の漁村・富崎」。
解説をする小谷家当主の小谷福哲さん。 |
そのひとつが日本の近代水産業のパイオニアであり、水産教育を始めた関澤明清から贈られた書簡と、精密に描かれた「重要水産動植物図」です。
展示された新発見資料 |
ほかにも、水産博覧会の褒章状や帝国水難救済会の関係書類などから、近代水産業発展のうえで布良が果たした重要な役割が見えてきました。
関澤明清の書簡の重要性を解説する大場俊夫先生 |
また、布良崎神社で新たにみつかった寺崎武男の作品が紹介されました。
寺崎は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で、青木繁の一級下であり、二人は確実に同時代を東京美術学校で過ごしています。
寺崎は、イタリアのヴェニスで十数年を過ごした後、大正12(1923)年の関東大震災以降、館山に居を構えます。昭和24(1949)年には、千葉県立安房第一高等学校の名物校長兵藤益男氏の招聘を受け美術講師となり、情熱あふれる講義で生徒に慕われ、校庭に生徒と共に裸体の自由の女神像をテラコッタで表玄関前に建立し、硬派の安房高に一大旋風を巻き起こしました。
新発見資料の解説の後は、語り部「布良星」「タコのうらみ」。
語り部「さくら貝」の庄司民江さんと、館山三中2年の浜田雅子さんが熱演をしてくれました。
真冬の夜、南の水平線上に赤く輝くカノープスは布良星と呼ばれ、危険な海で遭難した布良の漁師の魂だと語り継がれています。
浜田雅子さんのパネルシアター「たこのうらみ」 |
最後は、婦人会のみなさんが、踊り「いっちゃぶし」「安房節」 を披露。
漁村の民謡は長寿の秘けつ。みんなで楽しく踊りました。
そのほか、体育館をいっぱいに使い、様々な展示が行われました。
南総祭礼絵図の展示 |
昭和40年代の富崎の風景 |
青木繁《海の幸》の展示 |