館山市図書館では、館山・安房の記述がある本、舞台となっている本等、館山にゆかりのある本を、背ラベルの上部にオレンジ色のシールを貼り、紹介しています。
今回、特設コーナーでご紹介するのは、晩年を館山で過ごした昭和の稀代のアーティストと称される中原淳一氏(1913~1983)です。独特のタッチで描かれたデザイン画を、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
平成25(2013)年に、生誕100周年を迎えた氏について、月刊MOE 2016年5月号/白泉社 では次のように紹介しています。
[昭和の稀代のアーティスト 中原淳一の人生] P16~P17
「中原淳一(1913~1983)は昭和の出版界を疾風のごとく駆け抜けた稀代のアーティストです。淳一は女性の生活に関わるあらゆる事柄―衣食住・教養・マナー等―について独自の哲学と美学を持ち、麗しいイラストレーションでそれを表現し、雑誌を編んで読者に届けました。昭和20年~30年代に婦人雑誌『それいゆ』、少女雑誌『ひまわり』『ジュニアそれいゆ』を刊行し、雑誌を通して淳一は<美しく生きる>ことを女性たちに伝えたのです。」
「中原淳一(1913~1983)は昭和の出版界を疾風のごとく駆け抜けた稀代のアーティストです。淳一は女性の生活に関わるあらゆる事柄―衣食住・教養・マナー等―について独自の哲学と美学を持ち、麗しいイラストレーションでそれを表現し、雑誌を編んで読者に届けました。昭和20年~30年代に婦人雑誌『それいゆ』、少女雑誌『ひまわり』『ジュニアそれいゆ』を刊行し、雑誌を通して淳一は<美しく生きる>ことを女性たちに伝えたのです。」
館山への移住は、病気の療養のため。昭和58(1983)年70歳で永眠するまでの11年間を館山で過ごしたと、息子の中原州一氏が書いた「父 中原淳一」中原州一/中央公論社発行1987年4月 に綴られています。
中原淳一氏は、たくさんの言葉も残してくれました。この言葉たちには、私たちが日常生活を豊かに送るヒントがたくさん隠されています。
画家であり、ファッションデザイナーであり、たくさんの肩書を持つ氏と皆さんをつなぐ架け橋になってくれるであろう1冊の本と、言葉を紹介します。
画家であり、ファッションデザイナーであり、たくさんの肩書を持つ氏と皆さんをつなぐ架け橋になってくれるであろう1冊の本と、言葉を紹介します。
「美しく生きる言葉」中原 淳一/㈱イースト・プレス発行 2004年より
◆笑顔(P32)笑顔の美しい人は、本当に愛らしいものです。
だから鏡に自分の笑った顔を映してよく見てください。
◆小さな幸せ (P82)
私たちのまわりには、そう幸せなことばかりがころがっているわけではありません。
お互いが、ちょっとした心づかいで小さな幸せが生まれて、
その積み重なりがあってこそ、
私たちの暮らしの幸せは生まれるのではないでしょうか。
◆食卓の花 (P151)
何気なく食卓に添えられた一輪の花が、どんなに人の気持ちにうるおいを持たせ、
幸福にするかを知っている人でありたい。
*特設コーナーで紹介している本も、貸出ができますので、ご来館の際には、ぜひ手にとってお楽しみください。
【館山市図書館】 館山市北条1740番地(中央公園の西側です。)22-0701