2015年11月12日

歴史教室「わたしの町の歴史探訪ー伊戸・坂足・小沼・坂井ー」が開催されました!

去る111日(日)に、歴史教室「わたしの町の歴史探訪ー伊戸・坂足・小沼・坂井ー」が開催されました。

今回は、現在開催中の「新・地区展―西岬―」で紹介している西岬地区を巡りました。
(新・地区展についての詳細はコチラをご覧ください)

当日はさわやかな秋晴れで、暑すぎず寒すぎずの絶好の行楽日和になんと49もの方にご参加いただきました!

今回の歴史探訪では、まず西岬地区公民館分館を出発し、富士登山碑→根本青年館→御嶽神社→照浪院(波切不動)→宝安寺→地蔵尊→日露戦争戦没者碑→諏訪神社(小沼)→地蔵堂→日光大権現→諏訪神社(坂井)→居原台墓地→稲荷様→蛭子神社 と巡っていきました。

出発地の西岬地区公民館分館は、現在の西岬小学校の前身となった「館山市立西小学校」の跡地になります。

いざ出発!


富士登山碑。富士登山に無事成功したことを記念して建てる碑で、こちらの碑には清行参伸という先達が、28度の富士登山を達成したということが記されています。

説明に聞き入る皆さん(富士登山碑)

御嶽(みたけ)神社。祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。本殿左奥には滝が落ちていて、滝の上部には石仏が安置してあります。

奥のほうに滝があります(御嶽神社)

 照浪院(しょうろういん)。地元では波切不動と呼ばれています。大漁、海上安全の御利益があるとされ、波切不動とも呼ばれています。寛政10(1798)年に、日本橋の魚問屋・米屋嘉兵衛(よねやかへえ)が奉納した手水鉢(ちょうずばち)などが残っています。

手水鉢に興味津々!(照浪院)

宝安寺。曹洞宗の寺院です。本尊は虚空蔵菩薩で、南北朝期(1336~1359年頃)から室町時代(1300年代~1500年代)にかけての作と考えられています。この寺院で大正時代に住職をしていた岩永益禅(いわながえきぜん)和尚は、西岬に花づくりを広めたことで知られており、「小沼の花咲か和尚さん」として慕われていた人物です。

岩永益禅和尚のお墓です(宝安寺)

 小沼の諏訪神社。祭神は建御名方命(たけみなかたのかみ)と八坂刀咩命(やさかとめのかみ)で、二柱の神を合祀してあります。
このあたりには山の中腹(小沼)と平坦地(坂井)の2か所に諏訪神社があり、長野県の諏訪大社を意識して上諏訪と下諏訪にわけて祀ったとも言われています。

山の中腹にある諏訪神社(小沼・諏訪神社)

 地蔵堂。かつては安房108箇所地蔵巡礼の97番目の札所でした。境内には江戸時代の出羽三山碑(でわさんざんひ)や馬頭観音が数基建てられていて、信仰が篤い地域であったことがうかがえます。

月山・羽黒山・湯殿山の三山名が刻まれている出羽三山碑(地蔵堂)

日光大権現。林のなかにひっそりと建っているお社です。日光の二荒山神社の日光権現を勧請したもので、境内には文政4(1821)年に村人が奉納した手水鉢のほか、文政11(1828)年に山田仁助・文七という人物が奉納した狛犬があります。

(日光大権現)


参加してくださった方の中には西岬地区にお住まいの方も多く、「自分の住んでいる地区にこんな場所があるなんて知らなかった」といった声も多く聞かれました。

参加くださった皆様、お疲れ様でした!