過去の巨大地震によって、海岸が隆起した様子を示す4面からなる階段状の段丘「沼面群」。高い位置から沼Ⅰ面・沼Ⅱ面・沼Ⅲ・沼Ⅳ面と呼ばれています。
各段丘面の標高は、沼Ⅰ面が約24m、沼Ⅱ面が約18m、沼Ⅲ面が約11m、沼Ⅳ面が約5mで、現在の海岸沿いには、大正12(1923)年の関東大震災による隆起面がみられます。
沼面群のイメージ図 千葉大学考古学研究室『千葉県館山市沖ノ島遺跡第2・3次発掘調査概報』 (2006年3月)から転載 |
これらの海岸段丘面は、海岸でみられる波食棚(波の浸食作用で削られてできた平らな棚状の地形)や海食台(波の浸食作用によって海面近くの海底にできた平坦な岩礁面)といった海岸付近や比較的浅い海底につくられた地形が、海面上にあらわれたものとされています。
館山市加賀名遺跡の発掘調査時の航空写真(平成10年2月撮影) 発掘調査の地点は沼Ⅲ面。後ろに広がる高台が、沼Ⅳ面 |
沼Ⅰ~Ⅲ面は、地層に含まれている貝化石などの放射性炭素年代測定(生物体に存在する炭素の放射性同位体は、生物が死ぬと死骸中の量が一定の半減期で減り続けるため、その生物が生きていた年代を推定することができます)から、過去の大地震の発生時期は、約6,150年前(Ⅰ面)、約4,350年前(Ⅱ面)、約2,850年前(Ⅲ面)と推定されています。ちなみに沼Ⅳ面は、元禄16(1703)年の元禄地震の時の隆起面です。
館山市加賀名遺跡の発掘調査時の航空写真(平成10年2月撮影) 標高約12m地点で、縄文時代晩期の磯の跡がみつかりました。 |
西岬地区浜田の船越鉈切神社境内地は、沼Ⅰ面~沼Ⅲ面を含んでいます。一の鳥居が立つ平坦面(標高12~14m)が沼Ⅲ面、二の鳥居が立つ狭い平坦面(標高14~16m)が沼Ⅱ面、階段を登って拝殿手前の階段までの広い平坦面(標高21~24m)が沼Ⅰ面と考えられています。
そして、標高25mの位置には鉈切洞穴(千葉県史跡)が口を開け、ここから縄文時代後期(約4000年前)の漁撈具や魚骨などが多数出土しています。鉈切洞穴は、波の浸食作用によってつくられた海食洞穴で、今から約6,000年前の縄文時代前期には、波打ち際にあったと考えられています。
千葉県史跡「鉈切洞穴」 |