9月9日は、里見忠義(ただよし)が国替を命じられて、ちょうど400年目にあたります。
400年前の9月9日(旧暦)、重陽(ちょうよう)のお祝いのため、21歳の忠義は将軍徳川秀忠に挨拶しようと江戸城に登城しました。
重陽はとてもおめでたい日です。
忠義も楽しい気持ちだったに違いありません。
しかし、登城すると、将軍へのお目見え前に忠義の前に現れたのは老中たちでした。そして彼らは忠義に国替を言い渡していったのです。
安房国は没収され、とても遠い地である伯耆(ほうき)国倉吉(現在の鳥取県倉吉市)を与えられました。
国替とは、引っ越しを強制されることです。
館山城は壊され、倉吉に引っ越した忠義は、その後お家再興を願うものの、29歳の若さで亡くなり、里見家は断絶してしまいました。
里見家の行く末を決めたともいえる9月9日(旧暦)からちょうど400年。
館山市立博物館では里見氏安房国替400年特別展第1期「里見氏の遺産・城下町館山-東京湾の湊町-」を開催しています。
里見氏がつくり残した館山の町、里見氏を支えた人々、なぜ突然国替を命じられたのか、などをわかりやすく紹介・解説しています。
ぜひご来館ください!
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