【参考】 戦後67年終戦の日特集 館山市の戦跡12 「幕末の海防」
明治時代の日本に、黒船と同じような衝撃を与えたのが、明治24(1891)年、東京湾に来航した清の軍艦「定遠」と「鎮遠」です。当時の我が国に、同様の、最新鋭の巨艦はありませんでした。
明治新政府は欧米の近代国家に肩を並べるため、「富国強兵策」を推進し、朝鮮半島の権益をめぐって、清国(今の中国)と対立していました。
明治27年、日清戦争が始まる直前、全国の海岸の要所に望楼が設置され、沿岸の監視体制がとられました。望楼とは、陸上と艦船との信号、海上の監視などを行った海軍施設で、東京湾口の館山では、布良に設置されていました。
布良阿由戸浜から海軍望楼跡を望む(昭和6(1931)年撮影)
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明治37年、日露戦争が始まると、布良海軍望楼はロシア軍艦の監視体制に入ります。そして同年8月、東京湾口にあらわれたウラジオストック艦隊の監視と、日本の監視艇の通信中継を行っています。
余談ですが、明治37年8月といえば、布良の小谷家に滞在していた青木繁が「海の幸」を制作した時です。
「海の幸」(重要文化財)/石橋財団石橋美術館蔵 |
同時期の布良のこの2つの歴史的事実。あまり知られていないのかもしれません。
布良海軍望楼は、第一次世界大戦終了後の大正10(1921)年に廃止されましたが、太平洋戦争開戦後の昭和17(1942)年、同じ場所に電波探信儀(レーダー)を備えた布良海軍見張所が置かれました。
太平洋戦争時につくられた布良海軍見張所の地下壕 |
戦後は、海上保安庁第3管区海上保安部白浜通信局として、船の安全航行のための施設となっています。
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