高峰さんは、前月の7月から山本嘉次郎(1902~1974)監督作品「アメリカようそろ」のロケのため館山に滞在し、そのまま終戦を迎えたのです。
作品は未完に終わりましたが、山本監督からのアドバイスの言葉によって、役者としてプロに徹することを決心したといいます。(平凡社『別冊太陽 女優 高峰秀子』)
この日、高峰さんたちは、館山海軍航空隊、洲ノ埼海軍航空隊へ慰問をしていました。「館空」の飛行機格納庫で歌ったり踊ったりした慰問団が、「洲空」の慰問を終えた直後の正午、天皇陛下の玉音放送が行われ、戦争は終わりました。しかし、すぐには終戦の実感が湧かなかったといいます。
「館空」司令部の爆撃跡 太田茂氏撮影 |
夕暮れの館山は、騒然としていました。爆音を立て、屋根すれすれに飛び交う飛行機から、徹底抗戦を呼びかけるビラが撒かれたそうです。
その一方で、「昨夜まで、暑くても雨戸をたて、電灯に黒い覆いをかけて寝たのに、今夜はあちこちの部屋にあかあかと電灯がつき、まるで見違えるような光景だった。」と、終戦の実感が記されています。
館山市館山周辺の航空写真(昭和20年9月7日撮影) 写真下部中央にあるのが館山城跡 城山砲台を確認することができます。 |
深夜12時過ぎ、飛行機の轟音が、宿の上をひっきりなしに通り過ぎて、海の方へ消えて行ったそうです。高峰さんたちは、現在の館山信用金庫本店付近にあった木村屋旅館に宿泊していました。
このことは、他の資料からも確認でき、8月16日から、翌17日にかけて、館山海軍航空隊から合計20機の戦闘機が飛び立ち、アメリカ艦船群を攻撃し、自爆したとされています。(岡村春信「海軍「館山騒動」事件始末」『丸』 光人社)
高峰さんは、「「戦争は終わったのに・・」屋根の上を通りすぎてゆく爆音を聞きながら、私はただ呆然と、蚊帳の中で膝を揃えて座っていた。」と、やりきれない気持ちを表しています。