2011年8月8日

戦後66年終戦の日特集 館山市の戦跡3 「館山海軍航空隊」その3

昭和5(1930)年に開かれた旧館山海軍航空隊(館空)には、艦上戦闘機・艦上攻撃機・水上機などが配備されていましたが、第2次世界大戦まで各国の海軍が、積極的に活用していたのが水上機です。

飛行機の足の部分にフロートをはいた水上機は、主に巡洋艦や戦艦といった砲撃を目的とする軍艦に載せられ、偵察や大砲から発射された弾丸の着弾確認に使用されました。

旧日本海軍も水上機開発に力を入れ、偵察だけではなく、敵の攻撃に備えて見張りをする哨戒や、輸送などのために大型飛行艇を使用しました。

館空には、波静かな鏡ヶ浦を利用した水上機班が開隊時からおかれ、鷹ノ島の東側に、コンクリート製の滑走台と呼ばれるすべり台が作られました。水上機はそれを利用して、海に上がり下りしました。


館空水上機班の15式飛行艇
館空水上機班の滑走台跡
※ 見学することはできません。

旧海軍の滑走台のなかで、館空のものは大規模であったとされ、太平洋戦争中、世界最高の性能を誇った二式大型飛行艇が配備されました。

海上自衛隊鹿屋航空基地史料館に展示されている二式飛行艇

終戦後の昭和20年9月3日には、ここから米陸軍第112騎兵連隊が、館山に上陸しました。また、水上機基地で使用されていた起重機(クレーン)は、戦後の昭和25年頃まで残されていました。館空水上機班の施設跡は、滑走台の特性を活かし、現在は造船会社などが使用しています。


昭和25年頃まで残されていた
館山海軍航空隊水上機基地の起重機
(太田茂氏撮影)

そのほか、館空の航空機運用を支えた施設として、太平洋戦争開戦直前の昭和16年10月に、航空機の修理や部品を補給する第二海軍航空廠館山補給工場と、燃料など軍需品を補給する横須賀海軍軍需部館山軍需支庫が開設されました。

館山補給工場航空機修理工場跡は、鉄骨造りの大規模な建物で、外壁の腰部分にはイギリス式のレンガ積みが施されています。屋根組み材には、空襲による被弾跡が3カ所ありますが、今も造船会社の倉庫として使用されています。


旧第二海軍航空廠館山補給工場跡
※ 見学することはできません。

また、その東側には館山軍需支庫の木造の揮発油格納庫跡があり、現在も石油会社が使用しています。


旧横須賀海軍軍需部館山軍需支庫揮発油格納庫跡
※ 見学することはできません。
その4につづく。