太平洋戦争の後半、旧日本軍の航空基地は連合軍の激しい空襲にさらされ、基地施設の地下への設置と飛行機の防護に、最大限の努力が払われました。
飛行機を、空の脅威から守るためにつくられたのが飛行機掩体です。爆風に弱い機体と機関砲の弾片に弱いエンジンを守るためにつくられ、覆いのない無蓋掩体と、覆いがある有蓋掩体がありました。
有蓋掩体の多くはコンクリートでつくられ、旧海軍では大きさにより、戦闘機等の小型機用と中攻等の大型機用がありました。
館山海軍航空基地では、昭和18(1943)年の初めにつくられたのではないかとされる「館山航空基地次期戦備施設計画」に基づき、防空施設が整備されていきました。
館山航空基地次期戦備施設計画位置図 |
宮城地区には、飛行機を基地から避退させ、分散するために、誘導路と有蓋の戦闘機用の掩体5~6基がつくられました。館空滑走路に直結する誘導路とあわせて、昭和18年末頃に着工し、翌19年前半には、ほぼ完成していたのではないかとされています。
昭和20年9月7日撮影の航空写真。 下部中央にあるのが赤山。 赤山の左側に見えるのが滑走路に直結する誘導路。 |
この戦闘機用の掩体は1基が現存し、幅約16m、奥行きは機体主要部が約6.5m、尾翼部分が約4.5mの大きさです。特殊な型枠を組み合わせてコンクリートのアーチをつくり、鉄筋コンクリートを打設し、コンクリートが固まった後に型枠を取り除くという方法でつくられました。
そのほか香地区には、昭和19年7月から10月の間に、幅18m、奥行23m、高さ8mの飛行機掩体がつくられました。これは、海軍が建設したはじめての大型飛行機用の随道(トンネル)式掩体とされています。
※ 見学することはできません。 |
(その6につづく)