2012年2月27日

シリーズ安房国礼観音(^^)第十六番 石間寺!!


こんにちは(^^)♪

今日は、”冬の気圧配置”に戻った影響で、北風が寒いって
館山市のマスコットキャラクターの『ダッペエ』が
ブログで言っていました~(°∀°)!!

たしかに今日は風が冷たいですね!!
みなさんは体調大丈夫でしょうか(・ω・`)


今日の安房国礼観音シリーズは
『第十六番 石間寺』を紹介いたしまーす!!


  石間寺
     (せきがんじ)
  真言宗智山派
      (しんごんしゅうちさんは)

本尊:十一面観世音

住所:鴨川市下小原374
電話:04-7097-0183(白滝山不動協会)





ご詠歌:石のつま 峰よりおつる たきの水 むすぶこころは すずしかるらん


 十六番 石間寺はちょっとわかり辛いところにあります(・∀・)
地図で見ると、小原寺というもう一つのお寺と隣接してあります!!

小原寺の本坊を左手に抜けると、そこには小高い山に木が覆い繁る樹林、
その樹林と一体化したような急な石段があります!!
石段は苔むし、登るものを拒むかのようにシダが生えているそう…


写真でもちょっと怖いですよね(・ω・`)

比較的近年整備されたらしい手すりのついたコンクリートの
坂道もあるそうなので、石間寺に足を伸ばす際は
お好きなほうから登ってみてください(・∀・`)


石段を登りつめると、そこには黒々した
三間四面の観音堂が建っています(^^)☆

ででーん(°∀°)!!

 かつては、嶺岡山系に連なる山の頂上にあったそうですが
火災で伽藍(がらん)を焼失し、その後観音台と称する場所に再興したといわれています♪

江戸時代の元文年間にも火災があり宝暦年間に再建されましたが、
さらに明治33年の火災で焼失すると、同39(1906)年に同地の西福院(さいふくいん)と
合併して小原寺(しょうげんじ)と改称し、翌年に再建したのが現在の観音堂だそうです(・ω・)!!


お堂の向拝(ごはい)には龍の彫刻があり、作者は後藤義光の弟子で国分の後藤義信。

 小原寺(しょうげんじ)は真言宗に属し、
本尊は不動明王(西福院)と十一面観世音菩薩(石間寺)です♪

西福院の創建の年は不詳ですが、不動明王像は奈良時代の高僧良弁(ろうべん)僧正の作、
十一面観音菩薩像は弘法大師の作とする伝承があるそうですよ(・∀・)


霊気漂う、石段上のお堂の石間寺!!
観音堂の前に立つと、絶えず湧き水の滴る音が聞こえるらしいです(・∀・)!!



写真を見てちょっとだけ恐怖を感じちゃいました…

たぶん、私は1人で行けなさそうな気がします(^^;)







2012年2月26日

「親子で学ぼう じしんつなみ ~見て・聞いて・知ってみよう~ 」-旭市飯岡地区で津波の恐ろしさを学びました。

昨年3月11日の東日本大震災から、間もなく1年。

2月25日(土)、
津波による大きな被害があった旭市飯岡地区を実際に「見て」、
実際に被害にあわれた現地の方からお話しを「聞いて」、
千葉科学大学の先生から地震と津波について解説してもらい「知って」、
これからの自分のこと、家族のこと、地域のことを考えてもらうことを目的に、
「親子で学ぼう じしんつなみ ~見て・聞いて・知ってみよう~」を開催しました。

市内の小学4年生以上とその保護者26名が参加。

午前7時に館山を出発したバスは、午前10時に「いいおかユートピアセンター」に到着しました。

最初に、旭市企画政策課長米本壽一さんのお話しをお聞きしました。


旭市企画政策課長の米本壽一さん

平成23年3月11日(金)午後2時46分、突然東日本を襲った大地震。

旭市では、震度5強を観測しました。

その後におこった大津波は、旭市に死者13人、行方不明者2人、住宅被害は3,529世帯にも及ぶ、大きな被害をもたらしました。

旭市は、5年間の復興計画を策定し、そのなかで津波対策を重点施策に掲げています。


飯岡小学校に掲げられた横断幕

すでに海岸では、消波ブロックの復旧工事や保安林の植え替え作業が始まっています。

いいおかユートピアセンターでは、東日本大震災から1年となる3月11日(日)、
千葉県と旭市が共催で「東日本大震災一周年追悼式」を催し、政府主催追悼式の中継や一般参列者の献花などが行われます。

 続いて、

旭市復興計画検討委員会の委員長でもある千葉科学大学危機管理学部教授船倉武夫先生と、旭津波被災者支援センター代表・コーディネーター平塚四郎先生のお話しを聞きました。

千葉科学大危機管理学部教授の船倉武夫先生

旭津波被災者支援センター代表・コーディネーターの平塚四郎先生

あいにくの強い雨のなか、船倉先生に案内していただき、

平成23年3月11日に数十m手前まで津波が引き寄せ、震災当時は避難所となり約1,000名が避難した旭市立飯岡小学校の周辺を実地見学しました。


説明をする船倉先生

堤防から飯岡小学校までの距離は、わずか約250m。

最初に確認できた標高を表す表示は約2.7m。




標高約2.7mの地点

約50m歩くと、標高は約4.3mと約1.6m高くなりました。


標高約4.3mの地点

約100m歩き、飯岡小学校の入口にくると、標高は約6.7m。

さらに約2.3m高くなっています。

船倉先生は語られました。

「まちの高低差が、どのくらいあるのかを感じることが大切です。」


飯岡小学校の入口

海岸方向を見るとゆるやかに高くなっていることがわかります。

 平成23年3月11日 午後2時46分頃大地震が発生。

飯岡小学校では、

すでに午後2時40分に1年生が下校。
2年生は下校指導中。
3~6年生は大掃除をしていました。


旭市立飯岡小学校

午後2時49分頃、津波警報が発令されると、児童・担任は校舎3階へ避難。
津波警報の発令後、避難者が徐々に来校してきました。


午後3時14分頃、大津波警報が発令され、午後3時24分頃、旭市の避難勧告が出されると、避難者が増加し、職員による誘導が行われました。


飯岡小学校の非常階段


午後3時50分頃、飯岡に大津波が到達。
避難者から、低い地域で堤防から津波があふれ、浸水したとの情報が入りました。

午後5時20分頃、大津波の第2波が到達。
校門の数十m手前まで浸水し、この時の校内への避難者は約1,000名でした。

矢指川入り口の砂丘には高さ7.6mまで、津波が到達した痕跡が見つかったといいます。

現地見学をして確認できたことは、津波の警報や注意報の発令中は、

・ 絶対に海や川に近づかないこと。
・ 少しでも高い場所に非難すること。

です。


続いて、旭市飯岡保健福祉センターで、「津波写真展」を見学。


写真展を見学する参加者
堤防を乗り越える大津波の第一波

飯岡刑部岬展望館から見る飯岡港
左にある堤防を大津波は乗り越えてきました。
飯岡港の船溜りを襲う大津波の第一波
飯岡刑部岬展望館から見る船溜まり


写真展の見学後、隣接地にある仮設住宅を見学させていただきました。



説明をされる仲條富夫さん


説明をして下さったのが、被災をされ、未だ仮設住宅での生活を余儀なくされている仲條富夫さんです。

被災者だからこその生の声を聞かせていただきました。

また、お住まいの方の特別のご好意により仮設住宅の中を見学することができました。


3Kの間取りの仮設住宅の中も見学させていただきました
写真提供/千葉県観光物産協会



九十九里海岸を一望できる飯岡刑部岬展望館から、飯岡地区の様子を確認した後、

銚子市塩見町にある千葉科学大学へ。


昼食後、3班にわかれ、「いいおか津波 語り継ぐ会」のみなさんから、3月11日とその後の体験のお話を聞かせていただきました。

みなさんのお話しからわかったことは次のとおりです。


・東日本大震災で旭市を襲った津波では、地震から約2時間半後の波が最大だった可能性があること。

・これより前に津波は2度押し寄せ、2度目はそれほど大きくなかったため、住民が安心して家や海の様子を見に戻ったこと。

・2度目の小さな津波から約1時間後の午後5時20分頃、最大の大津波が堤防を大きく越え、まちをのみ込んだこと。


「まさか、一番大きいのが2時間以上も過ぎてくるとは」との恐怖の証言が、印象に残りました。


「いいおか津波 語り継ぐ会」のメンバーから話を聞く参加者

● 「いいおか津波 語り継ぐ会」の講話1



● 「いいおか津波 語り継ぐ会」の講話2




次に、千葉科学大学危機管理学部教授船倉武夫先生「いいおか津波を学ぼう」の講義です。

飯岡を襲った津波はどこの水か?
飯岡で最も高かった津波の高さはどれだけか?
地震速報のキャラクターは誰かな?

などのお話しを聞きました。

千葉科学大学危機管理学部教授の船倉武夫先生の講義





避難するときのオモテナシ

講義の終了後、「いいおか津波を学ぼう防災教室」の校長でもある平岡四郎先生から、参加者全員が修了証書をいただきました。


修了証書を受け取る小学生

最後に、
わが国で唯一の危機管理学部がある、千葉科学大学学生消防隊により、
消防服の着用と消防車の乗車を、体験させていただきました。


千葉科学大学危機管理学部の学生消防隊
消防服の着用体験
消防車の乗車体験


「親子で学ぼう じしんつなみ ~見て・聞いて・知ってみよう~ 」の開催にあたり、

講師の先生方をはじめ、皆様方にご指導とご協力をいただきました。
ありがとうございました。

千葉科学大学、社団法人千葉県観光物産協会
光と風キャンペーン実行委員会、いいおか津波 語り継ぐ会、旭市


津波の恐ろしさ。

災害がおきた時の自分のこと、家族のこと、地域のことを考える、またとない機会となりました。


なお、「親子で学ぼう じしんつなみ ~見て・聞いて・知ってみよう~ 」の様子は、

3月11日(日) 午後7時から午後7時55分に放送される、
チバテレ報道特番『被災地・千葉の1年』のなかで、紹介される予定です。



取材をするチバテレのクルー

2012年2月24日

シリーズ安房国礼観音(^^)第十五番 高照寺!!


こんにちは(・∀・)☆

今日の関東は今年1番の暖かさみたいですよ!!
そろそろ春が近づいてきましたかね(^^)♪


今日の安房国礼観音は
『第十五番 高照寺』を紹介いたします!!



   高照寺
      (こうしょうじ)
   曹洞宗
      (そうとうしゅう)
山号:大嶺山高照寺
本尊:十一面観世音
住所:南房総市山田1162
電話:0470-58-0743





ご詠歌:大杉へ きいてたずねて きて見れば ほとけのちかい あらたなるもの

 
 口伝では、『創立年代代103代後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)
長享三年(1489)頃、大字山田の川名啓家初代が開基として
戒名を授けられ“高照寺殿實叟浄心大居”として祀られている』と言われていますが、
同家の古文書によると、川名藤七郎が永禄年間(1558~1570)に
高照寺を建立したと言われています(^^)♪ 


 高照寺の本尊は、地蔵菩薩です(・∀・)
高照寺は、安房国百八ヶ所地蔵菩薩の二十九番、
平群二十一ヵ所大師の二十一番の礼所になっていますが、
安房国礼観音巡礼の十五番礼所になったのは、
大椙山椙福寺で、ご詠歌にもある通り大椙山(大杉山)と呼ばれていました☆
古くは山頂の御堂に行基菩薩作の十一面観世音が安置されていたが、
大正七年(1918)に高照寺境内に移ったとされています(・∀・)!!
  (地蔵菩薩=大地の全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、
   救うところから名づけられたとされています。一般的には『子どもの守り神』として信じられており、
   よく子どもが喜ぶお菓子が供えられています。親しみをこめて、『お地蔵さん、お地蔵様』と呼ばれています。)

十一観世音が地蔵菩薩の大錫杖(おおしゃくじょう)を持つことで、
観音と地蔵の両方の救済を兼ね備えると解釈されているそうです(°∀°)!!

高照寺には、永享三年(1431)の銘がある椙福寺の鰐口も保管されています♪
    (鰐口=神社仏閣の堂前に、布を編んだ太い綱とともに
     つるしてある円形の大きな鈴。中空で下方に横長の裂け目がある。
     参詣者が綱を振って打ち鳴らすもの)



高照寺がある御殿山は、富山、伊予ヶ岳と並んで
富山三山といわれる安房の明峰とされています(^^)♪

いくつかある登山ルートの中でも、高照寺から登るお寺ルートは
一番眺めもよく人気があるようです☆

 御殿山は里見氏が当地で鷹狩りをした際、
御殿を作ったのが山の由来だそうです♪




 


シリーズ安房国礼観音も
中盤に差し掛かってきました(・ω・`)

まだまだ知りたいことがいっぱいあります!!

歴史って奥が深いですね(^∀^)!!


2012年2月22日

2012若潮マラソン子どもレポータースライドショー【2班 西岬編】その3の公開をはじめました。全作品が完成です!!

2012若潮マラソン子どもレポータースライドショー【2班 西岬編】その3の公開をはじめました。


【2班 西岬編】  速報はこちら!

● 庄司菜々美さん(館山市立船形小学校4年生)の作品





子どもレポーターの編集作業を2月4日(土)に行いましたが、当日、風邪のため欠席したレポーターがいました。


強い北風と寒さのなか取材をしたのに、作品が完成しないのは可哀想と、ボランティアで編集の指導をしてくれたのが、“River-E -Kyasarin”さんです。

20日(月)・21日(火)の2日間、放課後の船形小で、スライドショーの作成を指導してくれました。

"River-E -Kyasarin"さん!! 本当にありがとうございました。


これで、今年も大活躍した子どもレポーターの全作品が、すべて完成しました!!


全作品を、ここで見ることができます。

2012若潮マラソン子どもレポータースライドショー 公開をはじめました!! (2012.2.6)

企画展「海のタイムカプセル-水中考古学からのおくりもの-」が開催されています。

国の文化審議会は2月17日、元寇の史実を証明する多彩な遺物が海底から出土している長崎県松浦市の鷹島海底遺跡を国史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申しました。

官報告示の後、水中遺跡としては初の国史跡に指定されることになります。

また今月10日には、水中考古学の研究者らが、静岡県熱海市の初島沖海底で、徳川家の家紋である三葉葵を彫り込んだ屋根瓦を確認しました。

江戸城の修理に使われる予定だったとみられ、城の修理や再建の様子を物語る貴重な手がかりになるとして注目されています。


近年、急速に進展する水中考古学の研究成果を紹介する企画展「海のタイムカプセル-水中考古学からのおくりもの-」が、東京都江東区の東京海洋大学越中島キャンパスで開催され、館山市の沖ノ島遺跡・栄ノ浦遺跡の出土品が紹介されています。




展示風景3点
アジア水中考古学研究所・林原利明さんからご提供いただきました。

館山市館山にある沖ノ島遺跡は、昭和62(1987)年に発見されるまでは未知の遺跡でした。

なぜかというと、標高0~-1mにある沖ノ島遺跡は、通常は海面下にあるため、干潮時にのみ砂浜にあらわれる特殊な遺跡だからです。

沖ノ島遺跡近景

千葉大学文学部考古学研究室と旧千葉県立安房博物館が共同し、平成15~17(2003~2005)年に発掘調査を行いました。 

平成15年の発掘調査のようす


この遺跡からは、縄文時代草創期末の撚糸文がある大浦山式・平坂式などの土器や、沈線文がある縄文時代早期初めの土器と、黒曜石製の石器、銛頭などの骨角器がみつかっています。それらとともに、多量のイルカの骨が出土していることから、沖ノ島遺跡はイルカ猟の拠点として利用されたと考えられています。

沖ノ島遺跡出土縄文土器(館山市立博物館藏)

沖ノ島遺跡出土イルカの骨(館山市立博物館蔵)


沖ノ島遺跡出土黒曜石製石器(館山市立博物館蔵)


遺跡が形成された縄文時代草創期末から早期の海水面は、現在より2~3m程低かったと推定されていますが、その後の縄文時代前期の縄文海進時には、現在より海水面が3~4mほど上昇していたと考えられ、その最盛時の海岸線は、現在の標高約27mの地点にあったと推定されています。
館山湾岸の遺跡・沼サンゴと縄文海進・地震隆起の関係
千葉大学文学部考古学研究室『千葉県館山市沖ノ島遺跡第23次発掘調査概報告』2006.3 44頁図17を一部改変


とすると、縄文海進最盛期の沖ノ島遺跡は、海水面-27mに沈んだことになります。

沖ノ島遺跡は、その後の海水面の低下と房総半島最南端部の激しい地震隆起によって再び汀線近くにあらわれた海底遺跡であるとされています。

この企画展では、縄文土器やイルカの骨、黒曜石製の石器、骨角器が展示されています。


展示中の沖ノ島遺跡出土縄文土器
アジア水中考古学研究所・林原利明さん提供

展示中の沖ノ島遺跡出土縄文土器・石器・骨角器・イルカの骨
アジア水中考古学研究所・林原利明さん提供


そのほか、館山市洲崎の栄ノ浦遺跡で、三瓶雅延氏が採集した縄文時代の黒曜石や、江戸時代の完形の灯明皿などが展示されています。



展示中の栄ノ浦遺跡採集の縄文土器・黒曜石・灯明皿
アジア水中考古学研究所・林原利明さん提供

灯明皿は、瀬戸・美濃産で、商品として運ばれてきたものが、海岸に打ち上げられたものと考えられ、沈没船に由来するものではないかと考えられています。


企画展「海のタイムカプセル-水中考古学からのおくりもの」

◆ 開催場所  東京海洋大学越中島キャンパス 越中島会館・特別展示室

◆ 開催日時  2012年2月15日(水)~3月25日(日)  開催時間:10時~16時30分
           (休館日:2月24・25日、3月9~12日)
◆ 主催     特定非営利活動法人アジア水中考古学研究所

◆ 展示内容
全国の海から引揚げられた文化遺産が多数展示されています。

[おもな展示遺跡・遺物(予定)]

(沖縄県)オーハ沖海底遺跡,(長崎県)鷹島海底遺跡・前方湾海底遺(福岡県)相島沖瓦・玄界島沖唐津焼・岡垣浜陶磁器・福岡市内碇石,(静岡県)初島沖海底遺跡,(東京都)神津島沖海底遺跡,(千葉県)沖ノ島海底遺跡,(北陸)能登半島珠洲焼・海岸採集陶磁器 ほか


また、2月26日(日)には、【シンポジウム】第6回水中文化遺産と考古学シンポジウム
が開催されます。

詳しくは、HPをご確認下さい。

シリーズ安房国礼観音(^^)第十四番 神照寺!!


こんにちは(・∀・)☆

 今日の安房国礼観音は
『第十四番 神照寺』を紹介いたします♪


  神照寺
     (しんしょうじ)
  曹洞宗
     (そうとうしゅう)
山号:朝日山神照寺
本尊:十一面観世音
住所:南房総市平久里中205
電話:0470-58-0444(泉龍寺)






ご詠歌:朝日さす 夕日かがやく 神照寺 たのみをかくる 伊予のゆうだち


 神照寺は、今でも並んで建っている平群天神社の別当寺でした(^^)
  (別当寺=神社を管理するために置かれた寺のことです)

山号を朝日山といい、ご詠歌の冒頭『朝日さす』とは、
この山号を詠み込んだものだと言われています♪


 神照寺の開山がいつだったのか、正確な年代はわかっていませんが、
平群天神社は、文和二年(1353)に細川相模守が
京都北野天満宮より観請し、その本地仏として
『十一面観世音像』が安置されたと、言われています(・∀・)♪

現存する、享保十五年(1730)に新鋳された梵鐘には
応永三十二年(1425)に製作された前の梵鐘が破裂してしまったとの
鐘銘が残っているそうです(・∀・`)☆


 明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)までは、神照寺の住職が
天神社の管理をし、全般を取り仕切っていました!!
(廃仏毀釈=仏教を廃し、釈迦の教えを棄却する意味。
  明治政府の仏教の排斥運動で、仏堂、仏像、仏具、経巻などに対し
  破壊が各地で行われました)

しかし、明治五年(1872)廃寺となり
同十一年に近くの泉龍寺に吸収合併されました(・ω・`)

同十四年、神照寺本堂が棄却されましたが観音堂と
十一面観世音菩薩像は泉龍寺の管理の下、現在に至っています。




神照寺の背後には房州の名山
『伊予ヶ岳』がそびえたち、
千倉の小松寺と関係する
天狗伝説があるそうです♪

その天狗伝説に、
とても興味を持ってしまい
調べてきたので少し
紹介させていただきます(°∀°)!!!!!!




~天狗伝説~
 延喜21年(921)2月15日、
小松寺が立派に再建されたお祝いに慶賀の式典が盛大に行われました。
安房守の嫡男である千代若丸も従臣乙王(じゅうしんおとおう)に付き添われ式典に参加され、
慶賀の稚児舞(十三歳未満の子供の舞)を奉納しました。

すると突然殿堂が、激しく揺れてひとつの怪物が現れたのです。
その怪物は千代若丸を引っつかむと
天空高く舞い上がり、はるか遠く北方の地に去ってしまいました。
安房守家臣の五十嵐左衛門というものが、
『これは、伊予ヶ岳の天狗の仕業に違いない!!』と、
素早く馬を飛ばして伊予ヶ岳に至ります。

しかし、ここに空しく千代若丸の死体を発見しました。
乙王は、千代若丸の死を嘆き、大きな悲しみと
自らの責任を痛感するあまり、小松寺山の東北にある
滝に身を投げ後を追ったのでした。


 伝説に登場する「千代若丸」や「乙王」は実在した人物であり、
小松寺にはその証である‘千代若丸の為に’と記された梵鐘や、
乙王の墓が存在するそうです(・_・)!!

天狗による悪行や、なぜ幼い千代若丸が連れ去られてしまったのかなど、
現代では想像することの難しい多くの謎が残る伝説とされていますφ(。。)



伊予ヶ岳には本当に天狗は実在したんでしょうかね…(・‐・;)
ちょっぴり怖いお話でした♪

2012年2月21日

古文書講座での大事件(?)

以前のブログでもご紹介したとおり、博物館本館では毎月、歴史教室「古文書を読んでみよう」を開催しています。

岡田主任学芸員が担当するこの講座は、毎年大変人気が高く、リピーターの方も数多くいらっしゃいます。
今年も、約50名の方が受講するクラスが、土曜午前・午後および火曜と3クラスあり、合計150名近くの方が、古文書の読み方を勉強しています。

長年続いてきたこの講座ですが、実は今月、大事件(?)が起きました!
なんと、新人学芸員である私が、講義を担当したのです・・・。

今年度の初回から助手(見習い)として、講座に参加してはいたものの、皆さんの前に立って
講義を行うのは今回が初めて!

しかも、この講座は、すべての文字(くずし字)を黒板に書くことに特色があります。
つまり、テキストとして使用する古文書にあるすべての文字のくずし方を解読し、その書き順を受講生の皆さんの前で再現しなければならないのです。

講義に備え、くずし方を何度も書いて予習・・・

というわけで、大変な緊張とプレッシャーの中、3回の講義に臨みましたが、受講生の皆さまは
とても温かく迎えてくださいました。
間違いを指摘してくださったり、アドバイスをいただいたり・・・。
最後には、拍手までしていただき、本当に感動です!!


まだまだ修行が必要です


受講生の皆さまには、分かりにくい講義でご迷惑をおかけしました。
今後、一層精進していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

シリーズ安房国礼観音(^^)第十三番 長谷寺!!


こんにちは(・∀・)☆

今日も天気がいいですね~(^∀^)!!!

今日の安房国礼観音は
『第十三番 長谷寺』を紹介いたします♪



第六番の長谷寺(はせでら)と漢字が同じですが
こっちのお寺は第十三番の長谷寺(ちょうこくじ)
読みますのでお間違いのないように(・∀・)!!



写真提供(・∀・)博物館のイケメンEさん!!



   長谷寺
      (ちょうこくじ)
   真言宗智山派
      (しんごんしゅうちさんは)
山号:鳥数山長谷寺
本尊:十一面観世音
住所:南房総市下滝田486-1
電話:0470-36-4086








ご詠歌:わけゆきて きたりて見れば にしのやつ 長こく寺とは めいしょなるもの


ご詠歌にも詠み込まれている『西ノ谷』と呼ばれる地に長谷寺はあります☆
周辺は山に囲まれた傾斜地に緩やかな棚田が続く農村地帯に
山を背負うようにして長谷寺は建っています♪

初春の頃、山に椿の赤い花、境内には梅の白い花が咲きます!!

 鳥数山長谷寺と号し、行基菩薩の開基と伝えられています(^-^)♪

伝承によると、元々は観音山という山の山頂にあったそうですが
弘化三年(1846)頃に現在の地に移されたそうです!!

お堂は、三間四方で型式からは『室町時代』の
建築物ではないかと言われているそうですが
建築年代は不詳だそうです(・ω・`)


写真提供(・∀・)博物館のイケメンEさん!!




長谷寺にほど近く、下滝田と上滝田の両区域に
またがるようして、『滝田城址』があります☆!


滝田城址は、初め一色氏が居城していましたが、
その後、里見義堯(よしたか)が稲村城を出てしばらくの間
在城したともいわれているそうです(^∀^)♪

滝田城への上り口は、下滝田ルートと上滝田ルートがあります!!
下滝田ルートの尾根道には展望台が設けられ、
西ノ谷の奥に静かにたたずむ長谷寺が小さく見えるそうです(`・ω・)☆


境内には文政五年(1822)建立の光明真言塔や、
寛政三年(1791)の「十三番札所道」と
表示した石造の道しるべなどがあるそうです(・∀・)☆



長谷寺はまだまだ由緒が不詳な部分が多いみたいです(・ω・`)

写真提供(・∀・)博物館イケメンEさん!!

椿や梅が綺麗な時に行ってみたいですね(・∀・)♪