2012年2月22日

シリーズ安房国礼観音(^^)第十四番 神照寺!!


こんにちは(・∀・)☆

 今日の安房国礼観音は
『第十四番 神照寺』を紹介いたします♪


  神照寺
     (しんしょうじ)
  曹洞宗
     (そうとうしゅう)
山号:朝日山神照寺
本尊:十一面観世音
住所:南房総市平久里中205
電話:0470-58-0444(泉龍寺)






ご詠歌:朝日さす 夕日かがやく 神照寺 たのみをかくる 伊予のゆうだち


 神照寺は、今でも並んで建っている平群天神社の別当寺でした(^^)
  (別当寺=神社を管理するために置かれた寺のことです)

山号を朝日山といい、ご詠歌の冒頭『朝日さす』とは、
この山号を詠み込んだものだと言われています♪


 神照寺の開山がいつだったのか、正確な年代はわかっていませんが、
平群天神社は、文和二年(1353)に細川相模守が
京都北野天満宮より観請し、その本地仏として
『十一面観世音像』が安置されたと、言われています(・∀・)♪

現存する、享保十五年(1730)に新鋳された梵鐘には
応永三十二年(1425)に製作された前の梵鐘が破裂してしまったとの
鐘銘が残っているそうです(・∀・`)☆


 明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)までは、神照寺の住職が
天神社の管理をし、全般を取り仕切っていました!!
(廃仏毀釈=仏教を廃し、釈迦の教えを棄却する意味。
  明治政府の仏教の排斥運動で、仏堂、仏像、仏具、経巻などに対し
  破壊が各地で行われました)

しかし、明治五年(1872)廃寺となり
同十一年に近くの泉龍寺に吸収合併されました(・ω・`)

同十四年、神照寺本堂が棄却されましたが観音堂と
十一面観世音菩薩像は泉龍寺の管理の下、現在に至っています。




神照寺の背後には房州の名山
『伊予ヶ岳』がそびえたち、
千倉の小松寺と関係する
天狗伝説があるそうです♪

その天狗伝説に、
とても興味を持ってしまい
調べてきたので少し
紹介させていただきます(°∀°)!!!!!!




~天狗伝説~
 延喜21年(921)2月15日、
小松寺が立派に再建されたお祝いに慶賀の式典が盛大に行われました。
安房守の嫡男である千代若丸も従臣乙王(じゅうしんおとおう)に付き添われ式典に参加され、
慶賀の稚児舞(十三歳未満の子供の舞)を奉納しました。

すると突然殿堂が、激しく揺れてひとつの怪物が現れたのです。
その怪物は千代若丸を引っつかむと
天空高く舞い上がり、はるか遠く北方の地に去ってしまいました。
安房守家臣の五十嵐左衛門というものが、
『これは、伊予ヶ岳の天狗の仕業に違いない!!』と、
素早く馬を飛ばして伊予ヶ岳に至ります。

しかし、ここに空しく千代若丸の死体を発見しました。
乙王は、千代若丸の死を嘆き、大きな悲しみと
自らの責任を痛感するあまり、小松寺山の東北にある
滝に身を投げ後を追ったのでした。


 伝説に登場する「千代若丸」や「乙王」は実在した人物であり、
小松寺にはその証である‘千代若丸の為に’と記された梵鐘や、
乙王の墓が存在するそうです(・_・)!!

天狗による悪行や、なぜ幼い千代若丸が連れ去られてしまったのかなど、
現代では想像することの難しい多くの謎が残る伝説とされていますφ(。。)



伊予ヶ岳には本当に天狗は実在したんでしょうかね…(・‐・;)
ちょっぴり怖いお話でした♪