2011年8月6日

出野尾洞窟遺跡の発掘調査

房総半島南部にある館山湾岸の周辺には、波の侵食作用でできた9つの海食洞窟遺跡があります。それらの立地上の際立った特徴は、県内他地域の海食洞窟が、標高5m前後にあるのに対して、標高25~30mという高い位置にあることです。

それは、房総半島南端部に帯状に広がる海岸段丘が、地震による隆起が累積した結果、高い高度に形成されたことによります。

館山湾の洞窟遺跡群は、縄文時代には基本的に生産・生活の場としての「生の空間」として使用され、古墳時代には洞窟墓として「死の空間」へと転換しました。

館山市出野尾にある出野尾洞窟遺跡は、南に向かって丘陵に深く入り込む谷津に面する丘陵の下部にあります。遺跡周辺は、谷津田を丘陵が取り囲むような場所で、出野尾洞窟遺跡はとても海食洞窟とは思えない景観のなかにあります。

館山湾の洞窟遺跡は高い地点にあることが特徴ですが、出野尾洞窟遺跡は最も高い標高約30mの位置にあります。開口方向は西で、開口部は幅4.9m、奥行き7.2mの大きさです。

昭和29(1949)年、千葉大学の神尾明正教授の指導により、県立安房第一高等学校(現在の安房高等学校)郷土史研究部による発掘調査が行われました。調査当時は、天井に達するほどの土砂が堆積し、空洞になっていた部分はわずかだったようです。

出野尾洞窟遺跡の測量図

これらの報告は、昭和46(1971)年の『館山市史』に掲載されていますが、出土遺物の所在は不明でした。
平成22年2月の館山市立博物館特別展「館山湾の洞窟遺跡」の開催にあたり、博物館の収蔵資料を再確認したところ、昭和60年に、遺跡の近くにある小網寺から寄贈された出野尾貝塚出土資料が、遺物の内容から出野尾洞窟遺跡出土資料であることがわかりました。

平成22年5月から、館山市教育委員会と千葉大学文学部考古学研究室が連携し、出野尾洞窟遺跡出土遺物の整理作業を進めていますが、このほど、これらの遺物と洞窟遺跡の性格を再度詳細に検討するため、千葉大学文学部考古学研究室が出野尾洞窟遺跡の再発掘調査を行いました。


発掘調査の結果、落盤の下に10㎝程の貝が混じる土層が確認され、昭和29年の調査の「貝層」の残存部であることがわかりました。

粒状に白くみえるのが混貝層

落盤と混貝層の間から縄文時代の前期末と、後期の土器のほか、黒曜石、イルカの骨、カキや二枚貝などがみつかりました。

上がイルカの骨。下が縄文土器。

また、落盤には貝の生痕化石と思われる部分がありました。


調査の成果は、今後、発掘調査報告書としてまとめられる予定です。