2012年2月6日

シリーズ安房国礼観音(^^)第五番 興禅寺!!


こんにちは(・▽・)☆

今日の安房国礼観音は、
『第五番 興禅寺』を紹介いたします(・∀・)!!




興禅寺
(こうぜんじ)
臨済宗円覚寺派
(りんざいしゅうえんかくじは)
本尊:十一面観世音
山号:海恵山興禅寺
住所:南房総市富浦町原岡275
電話:0470-33-3796(宝鏡寺)







ご詠歌:寺を見て 今はさかりの こうぜん寺 庭のくさきも さかりなるもの

行基菩薩作と伝わる十一面観世音菩薩を本尊とする観音堂は、
かつてこの地の東山のふもとにあったが、いつのころからか
当院の境内に移建されたと言われています(^^)♪

興禅寺は貞和元年(1345年)、夢窓時国師の開山とする
臨済宗の禅寺だそうです!!


興禅寺の境内には里見義弘(さとみ よしひろ)の
正室・智光院殿の供養塔があります(・ω・)!!


智光院殿とは…
智光院殿洪嶽梵長大姉という法名で、
この女性を青岳尼(しょうがくに)と呼んでいます!!

弘治二年(1556年)、里見義弘は宿敵北条氏に対し三浦半島の
城ケ崎を攻略し、鎌倉まで攻め入った際に、鎌倉で尼となり、
鎌倉尼五山筆頭の太平寺の住職だった青岳尼を連れ去り、
青岳尼は※還俗して義弘の正室となったそうです!!
※(げんぞく、、僧侶になった者が、戒律を堅持する
僧侶であることを捨て、在俗者・俗人に戻る事)

実は、義弘と青岳尼は幼なじみだったという説もあるみたいです(°∀°)!!



山門手前の六地蔵は、昭和の始めに建てられたもので、
作人として千倉の彫刻師後藤義孝の銘があります(^^)☆

山門は明治三十四年(1901年)に建てられた重厚な構えの四脚門♪

本堂は明治三十八年に改築されました☆


境内は、とても落ち着いた雰囲気の中にも
戦国時代の熱い里見ロマンを感じさせる佇まいだそうです(≧▽≦)!!




青岳尼が気になって色々と調べてみましたが
青岳尼はあの足利義明の娘で、生没年不詳になってるそうです(・ω・`)

興禅寺にある供養塔には天正4年(1576年)と明記されている事から
この年に死去したとする説もあるそうです!!

しかし天正4年段階において義弘は小弓公方家とは敵対関係にある
古河公方足利晴氏の娘を娶っており、
既に嫡男・梅王丸が誕生していたと考えられています!!

このため彼女の最後については伝承通りの夭折説、
義弘に離別させられた説、
晴氏の娘は当初は側室であり
青岳尼が亡くなった天正4年以後に正室とされた説
などが言われているが、いずれも確実な根拠を有していないそうです

更に近年では青岳尼の天正年間没説を前提として
里見義頼を義弘と青岳尼の子とする説も出されているそうです(・∀・`)!!



本当はどうだったのか気になっちゃいますね…(・ω・`)