6月1日、今年度初回の安房学講座が開催されました。
安房学講座は、館山市文化財保護協会と館山市立博物館で組織された
安房学講座実行委員会が開催する講座です。
今回のテーマは「近世安房国における魚肥生産」。
講師は館山市立博物館の宮坂新学芸員 |
大勢の方にご参加いただきました |
今回の講義の中心はタイトルにもなっている「魚肥(ぎょひ)」です。こちらは読んで字の如く、魚から作られた肥料のことで、渚の博物館でも大地引網で魚肥のための鰯をとるジオラマを展示しています。
近世(江戸時代)には、有名な綿の他に、藍やミカン、稲作にもこの魚肥が用いられました。
魚肥、と一口に言っても、どんな魚でもいいわけではありません。マグロやカツオを魚肥にした例もありますが、江戸時代に多く使われていた魚肥は、鰯やニシンです。これらから作られた干鰯(ほしか)や〆粕(しめかす)が、農家の購入肥料として広く用いられていました。
房総の魚肥の生産地は大きく分けてみっつです。
1、九十九里沿岸部
全国的に大規模な生産地で、房総の魚肥生産量の半分を占めます。海上だけでなく、河川や陸路を利用した輸送ルートで、干鰯問屋のある江戸や浦賀へ運ばれました。
2、東上総南部(いすみ市・御宿市・勝浦市沿岸)
九十九里に次ぐ生産量。輸送ルートは主に海上でした。
3、安房(外房から館山湾柏崎まで)
館山が位置する地域です。必要な人員、生産量共に小規模な漁法で、房総の魚肥生産量の中では5~10%と、この中では一番小規模ですが、地元の人々にとって魚肥の存在は大きく、漁のあり方を左右するものでした。新規漁法が登場した際には、保護の対象になっています。
また、西房州では干鰯の加工も行っており、「2、東上総南部」から鰯を買い取り、干鰯に加工する人々もいました。
普段は、漁業関係の講座というと漁の方法のみが注目されがちですが、今回は魚肥への課税や販売、流通といった経済的な側面にもスポットが当てられました。普段スーパーで食べている魚も、生産地は表示されていても流通経路まで表示されているものはほとんどありません。しかし、それは間違いなく多くの人の手を経て我々消費者の元に届いているのです。
房総の魚肥も、様々なルートを経て消費者に届きましたが、安房では主に海路を利用した魚肥出荷を行っていました。これは陸路よりも他売りがされにくいという特徴があります。
その他、仕入れ金の少ない漁法を利用していたり、地理的に近いという理由から浦賀の仕入れ問屋にとっては重要な集荷地でした。ただし、不漁の時期でも課税や問屋からの仕入れ金投入があったため、生産地の人々にとっては大きな負担となっていました。
このように、魚肥はただの肥料としてではなく、課税対象、また地元の主要な産業としても重要な位置を占めていました。渚の博物館では実際の漁の様子を忠実に再現したジオラマを多数展示しています。ぜひ実際使われていた道具や再現ジオラマをご覧下さいませ。