神奈川県、千葉県南部、東京、伊豆大島では震度6の揺れを感じ、地震による倒壊と、ちょうど昼食時だったため、家々から火が燃え広がったことなどから、東京の下町を中心に多くの犠牲者がでました。
死傷者は246,530人を数え、被害総額は当時の国家予算の1.5年分とも言われています。
房総半島南部の安房地域は、震源地に近いことから被害も多く、死者は1,206人、全壊家屋は10,808軒を数える大きな被害を受けました。
震源地に近い鏡ヶ浦(館山湾)に面した、北条町(現在の館山市北条地区)では1,616戸のうち1,502戸(約93%)が、
倒壊した安房郡役所(現在の館山市北条地区) 北条町の死者は230人。 |
館山町(現在の館山市館山地区)では1,678戸のうち1,455戸(約87%)が、軟弱な地盤のために全壊しました。
倒壊した家屋(現在の館山市館山地区) 館山町の死者は116人を数えた。 |
北部の那古町(現在の館山市那古地区)でも900戸のうち870戸(約97%)が全壊し、
那古町(現在の館山市那古地区)寺町通りの倒壊した家屋 那古町の死者は125人。 |
大改修が終わったばかりの那古寺観音堂に大きな被害がありました。
大震災直後の那古寺観音堂 |
また船形町(現在の館山市船形地区)では、地震による倒壊とその後の火災による焼失が重なり、1,178戸のうち625戸が倒壊し、340戸が焼け落ちました。
船形町(現在の館山市船形地区)の火災被害の状況 死者は133名。 |
南部の富崎村(現在の館山市富崎地区)では、9mの津波が襲い、70戸の家が流失しました。また、この地震による地殻変動によって海岸が隆起し、相浜の港では船の航行ができなくなりました。
富崎村(現在の館山市富崎地区)布良の津波被害の状況 富崎村の死者は1名 |
鉄道網や道路網の寸断により交通が断絶し、さらに、東京・横浜などの大消費地の被害とその混乱などから農産物・海産物が売れなくなり、館山の第一次産業に一層の打撃を与えました。
北条町の道路にできた亀裂 |
現在の内房線九重駅-千倉駅間の鉄橋落下の様子 |
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