2011年9月14日

防災の日特集3 「関東大震災-館山の被災者の恐怖の体験談」

大正12(1923)年9月1日、多くの人がそろそろ昼休みと思っていたその時、それまで体験したことのないような激しい揺れが関東一円を襲いました。

中央気象台(現在の気象庁)に設置されていた5台の地震計は、未使用の1台を除き、他の4台は破損あるいは転倒したため、地震の記録を残すことができませんでした。

突然の揺れが関東を襲ったのは、午前11時58分。地震の規模はマグニチュード7.9とされています。その3分後(午後0時1分)にはマグニチュード7.2、さらにその2分後(午後0時3分)には、マグニチュード7.1の余震が起こりました。わずか5分の間に、関東地方はマグニチュード7クラスの強い揺れに3回も襲われたのです。

この巨大地震による甚大な被害が「関東大震災」と呼ばれていますが、死者数は全体で10万人を超え、その9割が火災による焼死といわれています。

首都東京の被害が大きかったことから、東京で発生した地震と言われることがありますが、震源域が神奈川県から千葉県にかけての地域であったため、地震による土砂崩れや家屋の倒壊などの被害は、東京より千葉県と神奈川県の方が大きかったのです。

千葉県では、現在の館山市館山・北条・那古・船形地区、南房総市、富津市、木更津市、市原市の養老川沿いなどに被害が集中しました。

そのなかでも、特に被害が大きかった北条町(現在の館山市北条地区)、館山町(館山市館山地区)では、被害戸数の割合が97%を超えました。


現在の館山地区の被災の様子

昭和48(1973)年の『館山市史 別冊』に、関東大震災の被災者による体験談が記されています。

 その日は、蒸し暑いやや曇り気味の天候であった。午前11時58分45秒この時、この瞬間、不気味な地鳴りとともに、ものすごい上下動がおそった。ちょうど昼食時だったので、人々は七輪に火を起こしたり、焚き火をして食事の支度をしていた。

 瞬間、市民は時刻の底に突き落とされた。生まれてから、この方こうした揺れ方に接したことのない人々は夢中で外に飛び出した。

 壁は崩れ落ち、屋根瓦はとび、電柱は倒れ、地割れは各所に生じ、大音響とともに各家屋は一瞬にして全潰してしまった。



現在の北条地区の地割れ

 下敷きとなって圧死するもの、傷ついて呻く(うめく)もの、地上に出ても這いずり回るもの、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の生き地獄の有り様を呈した。


がれきに埋もれた人たちを救援している様子

船形方面や長須賀方面に火災は起きるし、海岸一帯は隆起し、残暑のため未だ海水浴客も滞在していたので、その混乱は言語に絶した。



現在の船形地区の火災による被災の様子

地震の揺れが体験したがないような強烈な揺れであったことや、大変な混乱の様子がうかがえ、家屋の倒壊、地割れ、海岸の隆起の様子が、これ以上表現しようがないと思える文章で記されています。

東日本大震災が発災した今年は、その被害の様子を、より実感して理解することができます。


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