2011年9月29日

シリーズ社会科見学8 青木繁生誕の地-福岡県久留米市 その3「石橋文化センター」

青木繁生誕の地-福岡県久留米市シリーズの第3回目。

久留米市野中町にある「石橋文化センター」を紹介します。


石橋文化センターには、バラやツバキ、ショウブ、ケヤキ、イチョウなど四季折々の花が彩る広大な庭園があり、石橋美術館をはじめ、音楽ホールや図書館を備えた複合文化施設です。



正門入口

楽水の池

石橋文化センターは、株式会社ブリヂストンの創立25周年を記念し、創業者の石橋正二郎が、同社の発祥の地である久留米市に建設し、寄贈したものです。


(財)久留米観光コンベンション国際交流協会発行
久留米物語『ブリヂストン創業者石橋正二郎と石橋文化センター』


久留米市に明治22(1889)年生まれた石橋正二郎は、明治39年、17歳で家業の仕立屋を継ぎました。

後に地下足袋を発明し、全国的な企業へと発展させました。

その後、アメリカ製品が当たり前であった当時、自動車の国産タイヤをつくり、昭和6(1931)年に、ブリッヂストン株式会社(現在の株式会社ブリヂストン)を創立しました。

太平洋戦争の終戦後、住まいを東京に移していた正二郎は、久留米にやってきて驚きました。その時の思いが残されています。

久留米市は1945(昭和20)年8月11日の空襲で全市の三分の二が焼野原となり、多くの人びとはバラックに住んで生活に追われ、ただ繁昌しているのは不健全な娯楽だけで、これが青少年の思想に及ぼす影響はまさに憂うべきものであった。

その後、欧米視察でアメリカやヨーロッパの文化に触れた正二郎は、あるヒントを得ました。

フランスの「文化の家」という施設は、音楽会場や美術館、そして劇場などが集まったもので、子どもから大人まで、いつでもそこに行けば楽しむことができました。

正二郎は、それにならって「文化を振興させたい」と考えます。

昭和27(1952)年、東京にブリヂストン美術館を開館した正二郎は、開館式の挨拶で次のように述べています。

私のコレクションの事を申上げますが、今日有名な坂本繁二郎画伯が当時17~8歳の頃私達小学生の図画の先生でありました。その後坂本さんは東京に去られ、30年を経て再び郷土久留米に帰られて、ちょうど私の住居の櫛原町内に居を構えられ、爾来昵懇にしております。

その坂本さんから、我々の先輩青木繁は、大天才画家で郷土久留米の非常な誇りである。その作品も久留米地方に多く散らばっているが、将来残らぬような事があっては残念で、何とか集めてもらいたいと言われて集めたのが私の絵画蒐集の始りで、その後昭和10年、私は居を東京に移し、更に青木繁の画の蒐集は青樹社に依頼し、1枚の絵に何年も骨折って手に入れたものもありまして、代表的作品は一応揃ったと思います。


石橋正二郎は、昭和28(1953)年頃から、「文化センター」建設の計画を立てて土地を買い、準備を進めました。自らペンを持ち、美術館や花壇、体育館などのアイデアを図面に描いています。


昭和31年に石橋文化センターは開園。






その中心施設が、石橋美術館です。


石橋美術館本館


石橋美術館のコレクションは、日本近代の洋画として、明治の洋画・青木繁、大正・昭和の洋画・坂本繁二郎の作品のほか、日本・中国の美術作品として、書跡・絵画・陶磁器・漆器などがあります。


8月にブリヂストン美術館で会った青木繁の《海の幸》に、ひょっとしたら再会できるかもと、ほのかな期待を抱いていましたが、まだ、展示はされていませんでした。


現在開催中の「野見山暁治展」(9/1~10/16)の会期終了後に、石橋美術館で再び会うことができるとのことでした。


石橋文化センター内には坂本繁二郎の旧アトリエもあります。
昭和55(1980)年に、福岡県八女市から移築され、復元されたものです。




坂本繁二郎旧アトリエ


残念ながら、通常は内部を見学することはできず、年に数回特別公開されているとのことでした。


このアトリエは、昭和6(1931)年に、坂本と青木繁の共通の友人であった梅野満雄の援助で、福岡県八女の梅野宅の隣地に建てられたものです。


梅野満雄といえば、

明治37(1904)年、布良で《海の幸》を制作していた最中の8月22日付けで、青木繁は4枚にわたる絵手紙を出していますが、受取人が親友の梅野満雄でした。

そこには、布良の素晴らしさが綿々と綴られ、また、精力的に大作《海の幸》に取り組んでいる青木の姿も描かれています。


房州絵入書簡 東御市梅野記念絵画館蔵
石橋財団石橋美術館他『没後100年 青木繁展-よみがえる神話と芸術』より転載


石橋文化センター正面入口の石壁には、石橋正二郎自筆の「世の人々の楽しみと幸福のために」という言葉が刻み込まれています。




この言葉は石橋正二郎の企業経営の理念でもありました。
石橋正二郎は、鳩山由紀夫元首相の母方の祖父でもあります。

石橋美術館には、私を含め来訪者が多くみられましたが、石橋文化センター内の大多数は、久留米市あるいは近郊からの来園者で、多くの家族連れが、思い思いに休日を楽しんでいる様子が、大変まぶしく見えました。


青木繁の生誕地-久留米“文化力”に圧倒されるばかりでした。


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