稲村城は、16世紀前半に里見氏三代の義通が居城とした城で、四代義豊が五代義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城です。
稲村城跡から北方向を望む。 館山平野を押さえ |
稲村城跡の丘陵先端にある主郭には、東と南の二辺に高さ約3mの土塁があり、北と西の斜面は、丘陵の側面を掻き落とし障壁とする「切岸手法」と呼ばれる方法で防御としています。主郭の大きさや、切岸の範囲が同時期の房総半島の城の中では抜きんでていることが評価されて、国史跡に指定されました。
土塁 |
当日、午前8時30分に稲区民33名、里見氏稲村城跡を保存する会9名が、標高約64mと稲村城跡のなかで最も高い位置にある主郭に集合。稲村城跡では、長年、里見氏稲村城跡を保存する会による草刈が行われてきましたが、国史跡に指定されたことを契機に、はじめて稲区が主催し作業を実施しました。
約2,000㎡の平坦面である主郭の草刈のほか、「切岸手法」によりつくられた西斜面の急傾斜地に生い茂った樹木の伐採を行った結果、今まで全く見渡すことができなかった館山湾側(西側)の館山平野を、一望することができるようになりました。
伐採前の様子 |
伐採後の様子。 上の画像とほぼ同じ位置で撮影 |
夕方にまで及んだ作業終了後、脇田安保区長は、「国史跡指定後、稲村城跡を訪れる人の数が増えてきた。今まで、海側の景色を見ることができなかったが、眺めがよくなり、これで自信を持って見学者を迎えることができる。」と挨拶をしました。
主郭から西側を望む。 那古寺観音堂、大福寺観音堂(崖 |