今回のテーマは「安房の戦国時代」
講師は千葉県立船橋二和高校教諭滝川恒昭先生。
みんな大好き里見氏中心のお話だったこともあり、100名近い人が集まる大盛況。
滝川先生のユーモアを交えた講義に、始終和やかな2時間でした。
修学旅行帰りの滝川先生 |
今回のブログでは、滝川先生の講義の一部をご紹介します。
歴史学とは
歴史学とは「過去のことをある証拠に基づいて考える」学問です。
証拠とは、確実なものでなければなりません。
史料としては手紙や日記などが主になりますが、そのなかでも同時代のものを中心に考えます。
後世の史料には筆者の想像や憶測が混じることがあり、確実とは言えないからです。
しかし、同時代の史料といえど「歴史は勝者の歴史」です。都合の悪い記録は破棄されてしまっているということを念頭に置いて考える必要があります。
そのため、新しい史料が見つかる、新しい解釈が生まれるなど、常に情報が更新されることにより、がらっと様相を変えてしまう学問でもあるのです。
戦国時代
戦国時代は一般に、1467年応仁の乱にはじまるとされていますが、関東では1454年から戦乱にありました。関東管領上杉憲忠を、関東公方である足利成氏方の里見義実、武田信長、印東氏らが討った享徳の乱です。
ここにはすでに里見の名が記されています。
長らく里見氏は「結城合戦から落ち延び安房に来た」といわれていましたが、近年、このことにより「房総を基盤にしていた上杉氏を、足利氏の命により討った里見氏が安房を押さえた」というのが定説となりつつあります。
里見と安房の転換期
里見が大きく転換することになる「天文の内乱」
義通の死後家督を継いだ義豊が5歳だったため後見となった伯父の実堯が、義豊が成人しても実権を返さなかったので、義豊に討たれ、その仇討ちとして実堯の息子である義堯が義豊を討ったという内乱とされてきました。
この出来事によって、里見氏が前期から後期へと移行することとなりましたが…
最近の研究により、義豊が義通の存命時にはすでに活躍していたという史料が見つかり、5歳の幼年であったという説が否定されました。つまり、内乱に至る事情は違うものだったのです。天文の内乱に勝利した後期里見氏が、史料を都合のよいように改変したと考えられます。
さらに、この天文の内乱は里見氏の内部争いにとどまらず、当時多数の武将がにらみ合っていた安房を、最大勢力であった里見氏ががっちりとまとめるきっかけになったということもわかりました。この乱まではまだ里見氏は安房の支配をしきれていなかったというのはご存知ない方も多いのではないでしょうか。
里見の印章 |
上の画像、何の鳥に見えるでしょうか。
人によって、鳩(清和源氏の鳥、里見氏は清和源氏の流れをくんでいます)じゃないか、いやくちばしがするどいから鷲じゃないか、それにしては脚が細いのでは…などいろいろな仮説が出ています。
その中で、滝川先生は、この鳥は鳳凰であるとしています。
鳳凰は中国古典の伝説上の鳥であり、偉大な支配者の元に現れるとされています。実堯、義堯は、中国神話の名君であった堯帝にあやかって堯の字を取り、義堯の子義弘もはじめは舜帝から取って、義舜と名乗っていたほど中国古典に精通していたため、鳳凰を印章にした…のかもしれません。
このように、歴史はさまざまなつながりから新しい説が生まれ続けているのです。
2014年は里見氏が安房から転封されてちょうど400年になります。
この機会に、まだまだ謎の多い里見氏について学びなおし、新たに思いを巡らせてみるのもおもしろいかもしれません。
あなたの説から歴史の真実が見つかる…かも?
◆次回、12月1日第7回の安房学講座は「安房の中世仏」
講師は当館学芸員の池田英真です。
池田氏ファン必見!
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