2012年11月26日

万石騒動安房三義民命日祭

正徳元(1711)年、北条藩主屋代(やしろ)越中(えっちゅうの)守(かみ)忠位(ただたか)は、北条・竹原・山本などの村方27か村、およそ一万石を領していましたが、その財政は極めて逼迫(ひっぱく)していました。

財政立て直しを図るため、上席家老相談役の川井藤左衛門(とうざえもん)は、例年の約2倍もの年貢を農民に課しました。

このため600名もの農民が江戸に押しかけて、老中の駕篭へ直訴するという大騒動になります。

万石騒動とよばれるこの農民一揆は、湊村(現在の館山市湊)の秋山角左衛門、国分村(現在の館山市国分)の飯田長次郎、薗村(現在の館山市薗)の根本五左衛門の名主たち3人が処刑されるという大きな犠牲がはらわれて、農民側の勝訴で決着をみました。


館山市指定史跡「三義民刑場跡」

領民たちはこの犠牲者を三義民とよび、館山市国分の国分寺に供養碑を建てて厚く弔いました。


館山市史跡「三義民墓」(供養碑)

今日11月26日は、三義民の命日。
現在も、地元の町内会である国分区が主催し、「命日祭」が行われています。

例年は刑場跡で、国分寺住職による読経や、御詠歌が詠唱されるのですが、今日はあいにくの荒天で、集会所で命日祭がおこなわれました。




命日祭には、三義民の子孫の方々のほか、地元の館野小学校と九重小学校の児童が参加していました。

義の心を後世に伝えようと、地域が一体となって「命日祭」を継承しています。


平成22(2010)年、300年忌の年に建立された記念碑「義の伝承碑」。

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・ 万石騒動三義民命日祭法要 (2011.11.27)
・ ちば歴史事件簿 『万石騒動』  (2012.1.20)