財政立て直しを図るため、上席家老相談役の川井藤左衛門(とうざえもん)は、例年の約2倍もの年貢を農民に課しました。
このため600名もの農民が江戸に押しかけて、老中の駕篭へ直訴するという大騒動になります。
万石騒動とよばれるこの農民一揆は、湊村(現在の館山市湊)の秋山角左衛門、国分村(現在の館山市国分)の飯田長次郎、薗村(現在の館山市薗)の根本五左衛門の名主たち3人が処刑されるという大きな犠牲がはらわれて、農民側の勝訴で決着をみました。
館山市指定史跡「三義民刑場跡」 |
領民たちはこの犠牲者を三義民とよび、館山市国分の国分寺に供養碑を建てて厚く弔いました。
館山市史跡「三義民墓」(供養碑) |
今日11月26日は、三義民の命日。
現在も、地元の町内会である国分区が主催し、「命日祭」が行われています。
例年は刑場跡で、国分寺住職による読経や、御詠歌が詠唱されるのですが、今日はあいにくの荒天で、集会所で命日祭がおこなわれました。
命日祭には、三義民の子孫の方々のほか、地元の館野小学校と九重小学校の児童が参加していました。
義の心を後世に伝えようと、地域が一体となって「命日祭」を継承しています。
平成22(2010)年、300年忌の年に建立された記念碑「義の伝承碑」。 |
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