2012年12月2日

シリーズ社会科見学25 国史跡「鶴岡八幡宮境内」

平治元(1159)年の平治の乱の後、伊豆に配流されていた源頼朝は、治承4(1180)年に東国の武家集団を集めて鎌倉に入りました。

頼朝は、鶴岡八幡若宮に参拝し、源氏の正当な後継者であることを表明し、鶴岡八幡宮を、武家及び政権の守護神として政権所在地の中心に据えました。




頼朝は、武家との間に主従関係を確立し、彼らの軍事力を権力の基盤として、朝廷とは異なる政権を樹立しました。以後、鎌倉は武家政権所在地としての整備が開始され、養和2(1182)年には鶴岡八幡宮の参道若宮大路が鎌倉の中心軸として整備されました。


中央部分の路面が石積みによって一段高く造られている「段葛」


鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府滅亡後も、後続する歴代の武家政権から武家政権発祥地の象徴として重視され、特に江戸幕府の将軍家である徳川家は、自らが源氏末裔を称していたことから、鎌倉を聖地として手厚く保護しました。




寛永元(1624)年には、江戸幕府第二代将軍であった徳川秀忠(1579~1632年)によって上宮、若宮ともに規模や形式を一新した造替が行われ、その後も、焼失による再建や定期的な修造など、江戸時代を通じて江戸幕府による保護が継続されました。

「武家の古都・鎌倉」の神社や寺院は、往時の姿を今によく伝えています。

また、社寺では、現在でも武家文化の伝統を保持しつつ、宗教活動や関連行事が営まれています。鶴岡八幡宮の放生会とそれに伴う流鏑馬神事は、その代表例です。


鎌倉の紅葉は今がまさに見頃。晩秋の鎌倉をご紹介します。


鶴岡八幡宮境内

鶴岡八幡宮境内(鎌倉国宝館)

鎌倉国宝館 武家の古都・鎌倉世界遺産登録推進 3館連携特別展
「古都鎌倉と武家文化」は、今日で終了です。
長谷寺境内
長谷寺境内

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