「ふるさと講座」は年間を通じて、ふるさとに潜在する地域資源について知りたい・学びたい市民を対象に開催している教養講座。
今回は講師に館山市教育委員会生涯学習課の主任学芸員兼文化財係長の杉江敬氏を迎えて「その後の穴の考古学」とのテーマで開催しまして47名の皆さんに参加いただきました。
公演中の杉江主任学芸員 |
講義では、館山湾の洞窟遺跡群をを「死の空間」としての洞窟墓にスポットあて海を介しての交流により展開した館山の歴史を知るうえで洞窟遺跡が欠かせないものであることを理解する機会としました。
郷土についてあまり関心を持っていなかったが興味深いテーマでとてもおもしろく拝聴できた。また、洞窟遺跡について話を聞き非常に興味を持つことが出来た。資料を再読してよく理解したいと思う。とても有意義であり、何回行って欲しい等、好評なる多くの感想をいただきました。
会場の様子 |
【講座概要】
《洞窟遺跡の実態》館山湾とその周辺は9つの洞窟遺跡が分布。
現在標高25~30mという高い位置にあるという立地上の特徴が
ある。約6000年前(縄文時代前期)の地球温暖化による海水面
の上昇、いわゆる縄文海進のときにできた海食洞窟である。
また、縄文時代には生産、生活の場としての「生の空間」として
使用され、古墳時代には洞窟墓として「死の空間」へと転換した。
《海面群と呼ばれる海岸段丘》
館山市から南房総市千倉町にかけての海岸沿いには「海面群」
と呼ばれる4段の雛壇上の海岸段丘がよく発達している。格段丘
に存在する加賀名遺跡、沖ノ島遺跡、沼サンゴ層、佐野洞窟遺、
安房神社洞窟遺跡、北下台洞窟遺跡、出野尾洞窟遺跡、鉈切洞
窟遺跡、大寺山洞窟遺跡などについて説明しました。
大寺山洞窟遺跡の第1洞で見つかった12基以上の舟棺は丸木
舟を用いた「舟葬」という葬送儀礼を確認できた初めての例。考古
学会の中では、戦後長らく「舟葬」否定論が多数を占めたが、大寺
山洞窟遺跡跡の「舟棺」によって、沈みかけていた舟葬が確かな
ものになった。
《館山の歴史のなかにおける館山湾の洞窟遺跡》
館山の歴史における館山湾の洞窟遺跡のもつ意味は古墳時
代の墓制の多様性をあらわしているとともに、また、館山市が大
地震のたびに隆起していることを示す自然遺産でもある。
海を通じて他地域との交流により展開していった館山市の歴史
と土地の成り立ちへの理解を深めることのできる地域資源として
の活用が望まれる。
第9回ふるさと講座のお知らせ
日 時: 平成25年1月19日 10:00~11:30演 題: 「千手院やぐらと石仏」
講 師: 千葉県文化財保護協会理事長 早 川 正 司 氏
会 場: 館山市コミュニティセンター 第1集会室