2012年12月1日

シリーズ社会科見学24 国史跡「称名寺境内」

鎌倉は、日本における古代から中世への転換期において源頼朝をリーダーとする武家が、日本で初めての武家政権を樹立し、それまでの貴族支配に替わる武家の支配を築いた場所です。

現在の横浜市金沢は、鎌倉の外港である六浦を抱え、東京湾を介した交通・軍事上の要衝、すなわち鎌倉の東の要衝です。

そこに重要な拠点として営まれた称名寺は、防御を重視した鎌倉幕府の政権所在地の造営の在り方の特徴を示す寺院です。


称名寺惣門(赤門)。明和8(1711)年再建の朱塗りの四脚門。

称名寺仁王門。文政元(1818)年再建。

称名寺は、第5代執権北条時頼や第8代執権北条時宗の補佐役であった北条実時(1224~1276年)が営んだ持仏堂が始まりとされています。

文永4(1267)年に寺院としての体裁を整え、鎌倉時代末に実時の孫金沢貞顕(1278~1333年)によって伽藍や庭園が再造営され最盛期を迎えました。

現在の境内は、山門の正面に浄土池を中心とした庭園を配し、その北側に諸伽藍が並んでいます。これらの建物の北方及び浄土池の東西には、講堂他の伽藍が営まれていた平場が展開し、それらの外側は周囲の山稜部へと連続しています。

現在の庭園は、発掘調査を経て昭和62(1987)年に復元されたものです。




称名寺金堂。天和元(1681)年再建。


北条実時の子、北条顕時(1248~1301)の墓。

鎌倉時代の称名寺は仏教教学の研究がとりわけ盛んに行われ、「金沢学校」とも呼ばれた日本における中世の大学でした。

さらに、建治元(1275)年に、称名寺に設置された「金沢文庫」には、教学研究のために収集された大量の文物が引き継がれています。

昭和5(1930)年、神奈川県立金沢文庫として復興。

「金沢文庫」に引き継がれた大量の文物は、活発な調査研究及び積極的な公開活用が図られています。

これらは、中国伝来の美術工芸品、書籍、典籍類を主体としており、武家文化の成立に中国文化が重要な影響を及ぼしたことを示すとともに、武家文化の精華を現在に伝えています。


称名寺境内から隧道を抜けると神奈川県立金沢文庫があります。

開催期間が明日12月2日(土)までですが、

世界遺産登録推進 三館連携特別展「武家の古都・鎌倉」 神奈川県立金沢文庫「鎌倉興隆―金沢文庫とその時代―」で、館山の資料が展示されています。

一つは、館山市出野尾の小網寺に伝わる鎌倉時代の密教法具。これは、称名寺を開いた審海が所有していたものです。


千葉県指定有形文化財(工芸品)「小網寺鋳造密教法具」
鎌倉時代   小網寺蔵

 もう一つが、最近館山市内で発見され、重要文化財級と話題になった「宋版・孫真人玉函方」です。金澤文庫の蔵書であったことがわかります。


「宋版・孫真人玉函方」
(中国)南宋~元時代  館山市立博物館蔵
 
 
今日から師走ですが、鎌倉周辺の紅葉は今が見頃。

明日の日曜日、称名寺と神奈川県立金沢文庫「鎌倉興隆―金沢文庫とその時代―」で、鎌倉の歴史を学び、あわせて過ぎゆく秋を楽しんでみてはいかがでしょうか。


称名寺境内の紅葉。
称名寺境内の銀杏。

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