2012年6月5日

NPO法人青木繁「海の幸」会 青木繁〈海の幸〉オマージュ展・ニュースリリース


青木繁〈海の幸〉オマージュ展・ニュースリリース  May 30, 2012 


青木伝説(没後101年)、ふたたび。


昨季2011年は没後100年を記念して青木繁展が、福岡、京都、東京と巡回開催され、新聞やTVで大きく話題となりました。今季2012年、私たち海の幸会は青木繁『海の幸』誕生の家を《海の幸》小谷記念館とする文化財保存活動を震災後に再開し、いまや賛同者が500人に迫る勢いです。

東日本大震災で『海の幸』が崩壊した町や港の復興を願いながら、画家としては、南房総布良で青木繁の『海の幸』が描かれた小谷家の修復と公開に寄与するべく、継続イベントとして1回 青木繁〈海の幸〉オマージュ展を開催します。東京展終了後、そのまま館山で巡回展を2カ月余開催いたします。また新たに青木伝説、「海の幸」伝説が、ふたたび始まります。よろしくお願い申し上げます。        


<実行委員> 入江 観  大津英敏  奥谷博  金澤 毅  絹谷幸二  久野和洋
  甲田洋二  齋藤 研  酒井忠康  佐々木豊  中山忠彦  塗師祥一郎  林 紀一郎
  吹田文明  馬越陽子  村田慶之輔  本江邦夫  吉武研司  ワシオ・トシヒコ

●出品者 53名

浅野輝一   安達博文   井口通太郎   稲垣三郎   稲木秀臣   入江 観   岩井壽照   上葛明広   内山 孝    大津英敏   大塚恵美   大庭英治   小川幸治   小川正明   奥谷 博   小原義也    金井訓志   川村良紀    北島治樹  久野和洋   甲田洋二   齋藤 研   齋藤鐡心    坂谷和夫   櫻井武人   佐々木 豊  佐藤忠弘   須藤美保   醍醐イサム  高草木裕子  高浜 均    田口貴大   田中茂   武田光弘   棚瀬修次   土屋泉太   中山忠彦   楢崎重視   塗師祥一郎   張替眞宏   深澤義人  吹田文明   馬越陽子   松岡 滋   松岡 眞    松倉茂比古   三浦明範   向井隆豊  森 一浩   柳 千代子  山内滋夫  吉岡友次郎   吉武研司

●応援メッセージ 5名

日本の近代絵画の黎明は、青木繁によってもたらされた。
―――金澤 毅(美術評論家)

私は思う。「小さな絵に大きな夢と愛と祈りを籠めてこそ、平成の作家が明治の夭折の画家のロマンに応える何よりの捧げ物となるだろう」と。
―――林 紀一郎(美術評論家)

明治から平成へ、世が移り、人が変わった。折から、没後百年を超える夭折の天才画家 青木繁のあの「海の幸」 ゆかりの家に熱い想いを寄せて、画家たちの作品がここに集う。亦楽しからずや。
―――村田慶之輔(美術評論家)

ほとんど何の情報もないところで自らの直観力と、内なる美的伝統を頼りに独自の世界を切り開いた青木繁の「跳躍」は、拝外主義の蔓延する今こそ真摯に見直されるべきです。
―――本江邦夫(美術評論家)

青木繁「海の幸」は海の幸を収穫した歓びを声高らかに謳っている。このオマージュ展も、東日本大震災で被災した沿岸の再生を願い、さまざまに描かれた「海の幸」が捧げられる
―――ワシオ・トシヒコ(美術評論家)



1回 青木繁〈海の幸〉オマージュ展   東京展

主 催:    NPO法人青木繁「海の幸」会   後援: 館山市・館山市教育委員会

会 場 :    ぎゃらりぃサムホール    
              〒104-0061 東京都中央区銀座7丁目10-11   日本アニメーションビル2階
TEL 03-3571-8271
  FAX 03-3571-8273

会 期 :    2012611()16()   11001900 最終日1700まで

出品者 :   海の幸会会員有志 50人およそ50点

作 品 :    F4号以下程度の小品 油彩・ドローイング・立体

搬 入 :     610日(日)16001700 以降飾り付け

オープニングパーティ : 611日(月)17時より

東京展では作家の方々のご厚意で売上金から経費を除いた全額が、青木繁「海の幸」会の文化財修復に寄金されます。

★問い合わせ&連絡先: NPO法人青木繁「海の幸」会 事務局 吉岡友次郎
214-0008川崎市多摩区菅北浦3-2-40 telfax 044-945-5473




館山巡回展   青木繁「海の幸」オマージュ展

1.       名称  巡回展 青木繁「海の幸」オマージュ展
  
2.       主催者  NPO法人青木繁「海の幸」会、館山市・館山市教育委員会

3.       後援  福岡県久留米市

4.       開催期間  平成24626日(火)~92日(日) 会期67
             開館時間 午前9時~午後445
             休館日 毎週月曜日(716日(月・祝)は開館)、717日(火)

5.       会場  “渚の駅”たてやま 館山市立博物館分館 企画展示室
          〒294-0036 千葉県館山市館山1564-1  

6.       観覧料  無料

7.       展覧会の概要
明治浪漫主義時代を駆け抜けた夭折の天才画家、青木繁。青木繁の代表作「海の幸」(重要文化財)は、1904(明治37)年東京美術学校を卒業して間もない頃、館山市布良の小谷家で制作されました。
 青木繁「海の幸」を顕彰し、「海の幸」が制作された小谷家を当時の姿に復元し保存することと、その公開を確かなものにする機運の醸成を目的に、
青木繁「海の幸」オマージュ展を開催します。

8.       展示構成

第1章 NPO法人青木繁「海の幸」会の文化財保存活動
第2章 館山市有形文化財(建造物)「小谷家住宅」
第3章 青木繁の作品
            ―布良で描かれたデッサンや「わだつみのいろこの宮」下絵など17点
第4章 青木繁「海の幸」オマージュ、作品50余点

9.       関連事業

【館山会場】

1講演会 「夭折の天才画家青木繁
    日時:7月22日(日)午後1:30~3:30
    会場:館山市中央公民館   講師:植野健造(美術史家)

2ギャラリートーク
    日時:7月14日(土)午後1:30~3:30
    会場:“渚の駅”たてやま 館山市立博物館分館 企画展示室
    講師:佐々木豊(洋画家)   ワシオ・トシヒコ(美術評論家)

3)図書館 青木繁「海の幸」特設コーナー
    期間:平成24629日(金)~92日(日)   休館日 月曜日、第4金曜日
    会場:館山市図書館   内容:青木繁「海の幸」に関係する図書の特設コーナーを設け、もっと詳しく知りたい市民の理解に供する。

10.    印刷物 
1ポスター A2判 カラー 600部  2チラシ    A4判 表裏カラー 15,000
3)作品目録  A448

11.    事務連絡先
館山市教育委員会生涯学習課文化財係
    
         〒294-0045 千葉県館山市北条740-1  
            TEL 0470-22-3698 FAX 0470-22-6560
  E-mail: syougaigaku@city.tateyama.chiba.jp


●わたしの青木繁

初めて『海の幸』の前に立った時、高校生の私の身体の中を削ぎ上げるように走ったものは何だったのか。その時、私は、迸る生命に触れたのである。一人の人間が絵描きになる理由は単一ではないが『海の幸』との出会いが、私が絵というものを信じる契機になったのは間違いない。――入江 観・洋画家

昭和421967)年、青木繁の《海の幸》は、高橋由一《鮭》、浅井忠《収穫》とともに、洋画としては最初に国の重要文化財に指定されました。他の2作品が国の所蔵作品であったことを思うと、《海の幸》の指定には特別の感を覚えます。――植野健造・美術史家

私の郷里筑後平野の出身で竹馬の友だった青木繁と坂本繁二郎の、友情とロマンにあこがれて画家の道を志した。――大津英敏・洋画家

藝大学生の頃「海の幸」を見て勇気づけられたことが昨日のようだ。――奥谷博・洋画家

痩せていた若い頃の私の面差しが、つまり目つきが青木繁によく似ていたようで、自他ともに認めていた。青木の絵画はもちろんだが、人間としてのすさまじさに、共鳴するところがある。布良へも保存活動が始まる以前に訪ねるなど、いくつもどこかで呼応している。――絹谷幸二・洋画家

先年、久留米に所用で訪ねた折、青木繁記念館(旧居)で一刻を過ごしました。かつて柳田國男が自身の生家を世界でもっとも「小さな家」と称したことがありました。青木繁の生家(旧居)も決して大きな家ではありませんでした。感慨深いものがありました。――酒井忠康・美術評論家

幸ちゃん。「青木繁」(河北倫明著)を返しておくれ。「若菜集」を懐にして青木は上京。我、マネして「青木繁」を携えて東京三鷹に下宿。訪れた駅前赤ちょうちんの幸ちゃん、「ホウ、天才なのネ。あなたのように、じゃ借りてゆくヮ。」昭和29年、19の秋でした。――佐々木 豊・洋画家

高校生の頃、美術部室にあった印刷物で、「海の幸」を見て以来、福田たねをモデルとした、輝かしい双眸に囚われている。爾来、女性像を描くに当たって、顔は眼と唇が全てを語ると考えて居り、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」などにも通底する。何れも達人の技なのであろう。――中山忠彦・洋画家

若い頃、昭和30年代だったと思う。「海の幸」のふるさと布良を訪ねたときのこと、岩場
でアワビ漁をしている裸の海女さんに話しかけようと、友人が堤防の上でとつぜん着物を脱いで裸になった。着物を着たままでは裸の海女さんに申し訳ないということらしかったが、今思い出しても気持ちが和んでくる。――塗師祥一郎・洋画家

()さればこの日手に手にくはし銛とる神の眷屬、丈にもあまる大鮫ひるがへるや魚の腹碧き光を背に負ひつつ、上るはいづこ、劫初の砂子濱べ?」青木繁《海の幸》に献じた蒲原有明のこの詩(「春鳥集」より)があれば、愚生には他に語ることはなかとよ…。――林紀一郎・美術評論家

手探りで絵に没頭していた藝大浪人時代。わからなくなると神宮前(現表参道)駅から一目散に地下鉄でブリヂストン美術館へ。のびやかなデッサンと馥郁たる香りを放つ海辺の行進。こちらをみつめる不思議な顔と向きあう。夢とファイトを一杯吸いこんだ私自身の青春の日々が蘇る。神秘な世界への誘いと共に。――馬越陽子・洋画家

貧しいということは素晴らしいことですね。生まれたばかりの日本、明治は総てにおいて貧しく、ロマンを夢見る中に天才は生まれ、歴史に洗われて輝いてくるのだと、青木繁を見て思った。――吹田文明・版画家

2011年は、奇しくも青木繁の没後100年と岡本太郎の生誕100年が重なり、ひとりは夭折の天才、かたや長生の天才。共にひたむきに生きた点では同じだろうから、ひととき、太郎は繁の生まれかわりではあるまいかと思えた。――村田慶之輔・美術評論家

「海の幸」のドキドキ感は、絵をかくときの原点です。あ~こういう経験を持ててよかった。――吉武研司・洋画家

青木繁と坂本繁二郎は、共に久留米出身の友人同士。布良にも同行した、秘かなライバルでもあった。この二人の関係をもしも映画監督に喩えるとしたら、青木が黒沢明、坂本が小津安二郎ではないか。そんな想像を巡らすのも、けっこう楽しい。――ワシオ・トシヒコ・美術評論家