2011年12月10日

「矢矧幸一郎追悼写真展」にあわせ、偲ぶ会が開催されました。

全日本写真連盟千葉県本部顧問や、館山市文化財審議会委員、館山市の学生フラメンコ事業を支援する市民団体であるエスペランサ館山の初代会長など、数々の要職を務め、国際交流や文化活動の振興に大きな貢献をされ、昨年11月に亡くなられた矢矧幸一郎さん(享年79歳)。

矢矧さんの本職は、鍛冶(金切鋏)職人でした
金切鋏製作の実績とその技量から、昭和58(1983)年には、館山市伝統工芸家に登録されました。


矢矧幸一郎さん

金切鋏の製作は、矢矧さんの曽祖父が、東京の秋葉原で、明治15(1882)年に開業し、祖父の代の大正2(1913)年に、現在の館山市に移りました。

明日(12/11)、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で、「二〇三高地」が放送されますが、この金切鋏は、日露戦争(明治37(1904)年~明治38(1905))の激戦地二〇三高地で、ロシア軍が張り巡らした鉄条網を切るために使われたことで一躍有名になりました。

鉄条網を「久光」の鋏で切断できたことにより、旅順要塞が陥落したとのことから、この時以来、この鋏の銘を「君万歳久光」と称するようになったと言われています。

矢矧さんは、写真家としても知られ、地元館山の歴史に重なる作品を数多く残しました。

一周忌を迎え、写真仲間による「矢矧幸一郎追悼写真展」が、館山市コミュニティセンターで12月13日(火)まで開催されていますが、本日、「矢矧幸一郎さんを偲ぶ会」が、展覧会場で開催されました。




偲ぶ会は、「矢矧幸一郎追悼写真展」実行委員会事務局の植木喜晃さんが進行を進め、実行委員長の高橋武彦さんの挨拶により開会。


挨拶をする高橋武彦さん


その後、ご遺族である矢矧さんの奥様 文子さんと長男 勝平さんのご挨拶がありました。


矢矧文子さんの挨拶

矢矧勝平さんの挨拶

出席者は約60名。
東京や県北から参加された方も、数多くいらっしゃいました。

矢矧さんの作品を、奥様 文子さんや、全日本写真連盟館山支部の柴﨑有二さんなどの解説により、全員で鑑賞。


解説をする柴崎有二さん

解説をする矢矧文子さん

解説をする柴崎有二さん

解説をする矢矧文子さん

奥様から、矢矧さんは月に1回東京に行くたびに、銀座4丁目の和光に行き、ショーウィンドウに写る光景を写真をおさめていたこと。

ヌードモデルを、顔写真と全身写真が載せられたカタログの中から選んでいたことなど。

数々の逸話が紹介されました。


全日本写真連盟館山支部の月例会は、ご家族のご好意により、矢矧さんが亡くなられた現在も、引き続き矢矧さんのご自宅で開催されています。

あらためまして、矢矧さんのご冥福をお祈り申し上げます。


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