2011年12月16日

青木繁《海の幸》ゆかりの文化財「小谷家住宅」に説明板を設置しました。

海の幸を描いた明治の洋画家・青木繁が亡くなってから、今年で100年。

その没後100年を記念して、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会が、文化庁の「文化遺産を活かした観光振興と地域活性化事業」を活用し、さまざまな取組みを行いました。


明治37(1904)年の夏、青木繁、福田たね、坂本繁二郎、森田恒友の4人が滞在したのが、小谷(こたに)家住宅

平成21年10月27日に、館山市有形文化財(建造物)に指定されています。

このたび、青木繁《海の幸》ゆかりの文化財「小谷家住宅」に、文化財説明板を設置しました。






小谷家は江戸時代から続く漁家で、明治19年に廃業するまで船主でした。
布良では、明治9年、明治22年、大正12年に大火があり、多くの家が焼失しています。

小谷家住宅は、建ちの低い平屋建てで、安房地方に多く見られる分棟型民家の系統をひいています。屋根を桟瓦葺き、一部を大壁造りとするなど、防火を考慮した造りとなっていて、内部に土間はなく、下手に差し掛けの土間・炊事棟を建て、間取りや、垂木止めに洋釘を用いている点など、明治時代初期の造りよりも新しい傾向を示しています。

そして、青木繁、福田たね、坂本繁二郎、森田恒友の4人が滞在した建物が残されていることから、明治22年の大火後に再建された家と考えられています。


明治37(1904)年、青木繁が情熱的な夏を過ごし、《海の幸》を描いた布良は、房総半島南端の小さな漁村です。

かつて栄えた漁村も、今は水産業が衰退し少子高齢化が進んでいますが、青木繁が愛した大海原の景観や人の温かさは変わりません。

皆さん、布良を散策してみませんか。

小谷家住宅は、現在も住宅として使用されているため、一般公開はされていませんが、布良には、散策をしながら見学ができるものが数多くあります。

散歩をして少し疲れたら、説明板の前でちょっと足をとめてみてください。そこには新たな発見があるかもしれません。

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