2011年12月1日

シリーズ社会科見学17 穴の考古学/青の洞門-大分県中津市

地域固有の歴史と伝統を反映した人びとの活動と、その活動が行われてきた歴史上価値の高い建造物や、その周辺の市街地とが一体となって形成されてきた環境を維持、向上させて、後世に継承しようとする“歴史まちづくり”の取り組みが、数多く行われている大分県。

史跡や名勝にも見所がたくさんあります。

耶馬渓(やばけい)は、大分県中津市にある山国川の上・中流域と、その支流域を中心とした渓谷です。

耶馬溪の紅葉の美しさは、とても印象的でした。




景勝地として知られ、大正12(1923)年に国の名勝に指定されています。

火山活動による凝灰岩や凝灰角礫岩、熔岩からなる台地の侵食によってできた奇岩の連なる絶景で、文政元(1818)年に、歴史家・漢詩人であった頼山陽(らい さんよう)がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりとされています。

耶馬渓を代表する名勝である競秀峰(きょうしゅうほう)の裾野を貫いているのが、青の洞門です。


競秀峰 裾野を青の洞門が貫いています

青の洞門は、江戸時代中期に禅海和尚が掘った洞門(トンネル)で、大正8(1919)年に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になりました。

諸国遍歴の旅の途中、ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここに洞門を掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれています。





禅海和尚は、享保20(1735)年に洞門開削の大誓願を興したと伝えられ、明和元(1764)年に、全長342mの洞門が完成したとされています。







寛延3(1750)年には大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てたとされ、日本初の有料道路とも言われています。

明治39(1906)年から翌40年にかけて行われた大改修で、洞門の大部分が原型を破壊されたと言われ、





現在の青の洞門には、トンネル内の一部に明かり採り窓などの手掘り部分が残っています。


明かり採り窓
手掘り部分


完成当初は、樋田の刳抜(くりぬき)と呼ばれていたそうですが、昭和17(1942)年に大分県の史跡指定にあたり、青の洞門が正式名称となりました。

紅葉の名所でもある耶馬溪には、多くの来訪者が訪れ、青の洞門近くの駐車場は満車状態でした。


銀杏の色付きも見事でした


私たちのふるさと館山にも、「穴の考古学」の見所がたくさんあります。

縄文時代・古墳時代の千葉県史跡「鉈切洞穴」
鎌倉時代の館山市史跡「(水岡)やぐら」
昭和時代の館山市史跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」

が、その代表です。

しかし、一般公開されているのは、館山市史跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」のみ。
年間の入壕者は、約1万7,000人です。


また、青の洞門と異なり、館山のいずれの“穴の”史跡も、解説がないと、ただそこに行くだけではその内容が理解しにくいという現状もあります。

興味深いものはたくさんあります。
しかし、どのように磨きをかけていくのか...

館山の穴の考古学の“資源化”には、課題がたくさんあることを再確認しました。


◆ シリーズ社会科見学

シリーズ社会科見学16  歴史を活かしたまちづくり/昭和をキーワードに蘇った商店街-大分県豊後高田市(11/30)
シリーズ社会科見学15 歴史を活かしたまちづくり/登録文化財を活用したレストラン-大分県日田市(11/28)
シリーズ社会科見学14 歴史を活かしたまちづくり/九州豊後路の小京都-大分県杵築市(11/27)
シリーズ社会科見学13 國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館/つとるば遺跡出土品(11/20)
シリーズ社会科見学12 海上自衛隊館山航空基地開隊58周年記念 ヘリコプターフェスティバル in Tateyama(10/11)
シリーズ社会科見学11 福岡市博物館 特別企画展「日本とクジラ」その2 (10/10)
シリーズ社会科見学10 福岡市博物館 特別企画展「日本とクジラ」その1 (10/5)
シリーズ社会科見学9 青木繁生誕の地-福岡県久留米市 その4「坂本繁二郎生家」 (9/30)
シリーズ社会科見学8 青木繁生誕の地-福岡県久留米市 その3「石橋文化センター」 (9/29)
シリーズ社会科見学7 青木繁生誕の地-福岡県久留米市 その2「青木繁旧居」(9/28)
シリーズ社会科見学6 青木繁生誕の地-福岡県久留米市 その1「久留米城跡と青木繁記念碑」(9/26)