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市民の立場から稲村城跡の国史跡指定を目指し、運動を進めてきた里見氏稲村城跡を保存する会が、他地域での国史跡の保存と活用について学習するため、群馬県太田市の国史跡「金山城跡」の巡見を行います。
2枚とも太田市HPから転載 |
金山城跡は、標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上を造成、曲輪(くるわ)とし、これを堀切(ほりきり)・土塁(どるい)などで固く守った戦国時代の山城です。
特筆されるのは、石垣や石敷きが多用されていることで、従来、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆されました。
主な曲輪群は実城・西城・北城(坂中・北曲輪)・八王子山の砦の4箇所ですが、山麓にも、城主や家臣団の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していたと見られます。
金山城跡の巡見後、栃木県佐野市の唐沢城跡を見学します。
唐沢城跡は、栃木県南部の唐沢山一帯に広がり、山頂本丸の標高は242mです。
山麓(さんろく)に広がる根小屋(ねごや)地区との標高差は約180mです。
築城の時期については、下野の藤姓足利氏が「佐野庄」を統治、鎌倉時代に入り佐野氏としての勢力を拡大しつつ、その後、群雄割拠の時代的背景の中、山城を築き上げていったものだと考えられています。
本丸外東石垣 |
本丸虎口袖石垣 2枚とも佐野市HPから転載 |
唐沢山城跡は、良好な状態で戦国時代末期の高石垣が残る、東日本では数少ない城跡として知られています。しかしながら、近年、400年にわたり風雨にさらされてきた石垣や土塁は、各所で崩落が目立ち始めました。
その後、平成14年の大雨で天徳丸の一角が大規模に崩落したため、佐野市教育委員会は、保存整備の必要性について本格的に検討を開始しました。
しかし、唐沢山城跡は、本丸などの主郭部が広がる山頂部において佐野市と田沼町の境界が混じっていたため、両自治体の連携が必要不可欠でした。
平成17年2月28日、1市2町が合併し新しい佐野市が誕生したことにより、唐沢山城跡の保存整備について、一元的な取り組みが可能になりました。
平成18年度に入り、19年度からの事業化を目指し検討が進められ、平成19年度から「唐沢山城跡国指定史跡化事前調査事業」と位置付け、調査が行われ、平成20年度からは国庫補助事業として「唐沢山城跡国指定史跡化調査事業」という名称で本格的に調査を進められています。
国指定史跡「金山城跡(群馬県太田市)」
国指定史跡をめざす「唐沢山城跡(栃木県佐野市)」 巡見
日 時 平成23年12月18日(日) 午前6時30分~午後7時30分
集 合 館山市役所4号館駐車場(旧市民センター) 午前6時20分集合
参加費 5,500円
定 員 40名
持ち物 昼食・飲み物・歩きやすい靴
申 込 電話あるいは葉書にて 〆切 12月10日(土)
必要事項 住所・氏名・電話番号・生年月日(保険加入のため)
申込先 里見氏稲村城跡を保存する会事務局(金久ひろみさん)
〒294-0036 館山市館山340-6 TEL 0470-23-5769