ついに始まりました、安房国礼観音シリーズ(^^)☆
今日は『第一番 那古寺』をご紹介いたします♪
ご詠歌:ふだらくは よそにはあらじ 那古の寺 岸うつ波を 見るにつけても
養老元年(717)、元正天皇が病に伏した折り、行基菩薩がこの地を訪れ、
海から柳の香木を得て千手観音菩薩像を彫って平癒を祈願したところ、
たちどころに天皇が回復し、その報謝として建てられたのが那古寺の始まりと言われています。
石橋山の合戦で敗れた源頼朝は、この地に逃れ再興を祈願、
建久年間(1190~1199)に七堂伽藍を建立しました。
足利尊氏、里見義実も相次いで信仰を捧げました。
とくに、血縁者が別当に就任するなど里見氏との縁は深い。元禄大震災(1703)では、塔堂は全壊。
徳川幕府が再建に乗り出し、1730年代に再建を完了しました。
関東大震災(1923)では観音堂(本堂)が半壊したが、翌年には復旧。
昭和に入って仁王堂、鐘桜堂建立なども修復した。
現存の観音堂は江戸中期の寺院建築であります。那古寺は、安房国礼三十四霊場の打ち始め、第一番の礼所であるとともに、
板東三十三霊場の第三十三礼所、結願寺でもあります。
ご詠歌にも詠まれる那古寺の山号『補陀洛(ふだらく)』とは、
梵語のポーターラカに由来します。
ポーターラカは、観音菩薩が住むインド南端の岬を俯瞰(ふかん)する山と
考えられていて、これが日本に入って補陀洛山と呼ばれています。
補陀洛は、観音信仰の中心地で、眺望も絶景で海に望んで花咲き、
鳥がさえずる極楽の境地を表しています。
那古寺からの館山湾、それを囲む大房、岬の眺望は補陀洛の山号通りの
まさに絶景となっています!!
そのお寺の歴史を少しでも理解してから参拝に行くことで
楽しさが増えるような気がします(^^)☆