祝 国史跡指定 「里見氏城跡 稲村城跡 岡本城跡」
本日,平成24年1月24日付けの官報告示により,館山市の稲村城跡が,南房総市の岡本城跡とともに,「里見氏城跡(さとみし しろあと) 稲村城跡(いなむら じょうせき) 岡本城跡(おかもと じょうせき)」として,正式に国史跡として指定されました。
国史跡「里見氏城跡 稲村城跡」 |
国史跡「里見氏城跡 岡本城跡」 |
官報 1月24日 号外(第15号)をご覧下さい。
(掲載期間は掲載日から30日間です。)
指定理由
里見氏は戦国時代から江戸時代まで10代,約170年間にわたり,房総半島南部を拠点とした一族である。
房総里見氏は,初代里見義実(よしざね)が白浜城(南房総市)に本拠を構えて以降,その時々の状況に応じて,数次にわたって本城を移動させている。
稲村城は,16世紀前半,3代義通(よしみち)が居城とした城で,4代義豊(よしとよ)が5代義堯(よしたか)に攻め滅ぼされた「天文(てんぶん)の内訌(ないこう)」の舞台となった城である。
館山平野中央部南辺の丘陵端に位置する。丘陵先端部にある主郭(しゅかく)は,東と南の二辺に高さ約3mの土塁(どるい)を持ち,北と西の斜面は,丘陵の側面を掻き落とし障壁とする切岸(きりきし)手法を駆使し防御とする。主郭の規模や,切岸の範囲は同時期の房総半島の城の中では抜きんでている。
岡本城は,義堯の孫義頼(よしより)が16世紀後半に本拠とした城である。
現在の東京湾を望む丘陵上に造られ,城跡の規模は,東西約600m,南北約300mに及び,この地域の城の中では抜きんでた規模を持つ。中心部分は3つの曲(くる)輪(わ)からなり,山頂の主郭の北東に広がる曲輪は,港としての機能を持っていたと推定されている。
里見氏城跡は,房総半島における中世山城の変遷や,この地域の社会・政治情勢を知る上でも重要である。
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・ 「稲村城跡」の国史跡指定答申について(2011.11.18)