2011年10月20日

「大神宮義民七人様の供養碑」、基台(石垣台座)の造成と供養碑の復元終わる!

 館山市大神宮にある千祥寺境内には「大神宮義民七人様の供養碑」(館山市指定文化財:史跡)が建てられています。

千祥寺入り口

 七人様というのは、1711年の万石騒動(安房国北条藩でおきた農民の大規模な一揆)よりも前に大神宮村で起こった農民一揆の犠牲者のことです。


 時はさかのぼります・・・。


 寛文12年(1672)に大神宮村の領主になった旗本河野三左衛門は、山年貢を課しながら村人の山支配を禁止し、木材を独占するという横暴ぶりでした。
 さらに、延宝7年(1679)から3年続きの大嵐に見舞われ、農作物の大凶作にもかかわらず、年貢の取り立ては厳しさを極めました。
 
 このため、村人は天和元・2年(1681・82)と江戸の河野家に嘆願をしますが、 聞き入れられることはなく、ついに江戸奉行所への越訴をします。

 が、農民側の組頭が偽証をしたため、代表7人が罪を問われ、処刑されてしまうのです。


「大神宮義民七人様の供養碑」

 地元の人々は、この死を悼み、その霊を祀るために「供養碑」を建立しました。現在の供養碑は大正11年に大神宮地区で建立したものです。




 そして、大神宮義民七人様の330回忌にあたる今年2011年

 七人様を思う地元の人々の気持ちは当時も今も変わりません。

 大神宮地区では、「大神宮義民七人様 三百三十回忌法要実行委員会」の方々が、この節目に、崩れ始めて危険であった基台を新しく作り直し、その上に供養碑を復元しました。

 先月9月27日から行われ、本日(10月20日)完成しましたので、ご報告します。



向かって左側に見えるのが供養碑

「大神宮義民七人様の供養碑」
基台が造り直され、供養碑は元の位置に戻されました