2012年8月12日

戦後67年終戦の日特集 館山市の戦跡14 「東京湾要塞」

現在、日本国内に自衛隊の施設や米軍の基地はありますが、要塞はありません。

聞き慣れない言葉かもしれませんが、「要塞」とは、国土を防備するための軍事施設のことをいいます。

我が国で要塞が積極的に造られたのは、明治以降から昭和初期までの間です。四方を海に囲まれた日本では、敵対国の艦隊を、海岸沿いに置いた大砲などで、いかに撃退するのかが、大きな課題でした。

要塞は旧陸軍により建設され、植民地だった現在の韓国のものも含め、国内の概ね17カ所につくられました。

最初に、建設が着手されたのが東京湾要塞です。

浦賀水道から南の房総半島と三浦半島の内側、それに東京湾の一番狭い部分である浦賀水道を閉じるように造られた人工島(東京湾第一~三海堡)など、37の砲台のネットワークで構成されていました。


東京湾要塞の配置図
⑦大房岬砲台 ⑧洲崎第二砲台 ⑨洲崎第一砲台

明治13(1880)年起工の観音崎砲台をはじめに建設が続けられ、昭和7(1932)年、最後に完成したのが、館山市加賀名の洲崎第1砲台と南房総市富浦町の大房岬砲台でした。

要塞があった当時、その軍事機密を守るため、要塞地帯法という法律により、現在の館山市内では、写真撮影や写生などが禁止されていました。


北条海岸の海水浴風景(昭和初期)。
東京湾要塞司令部の許可を受けていることがわかる。


太平洋戦争の頃、現在の内房線の海側の窓は、外が見えないように、窓のおおいが閉められたままにされていました。 

かつて館山が、要塞地帯であったことを示す東京湾要塞第1区地帯標が、市内新宿の内房線踏切のかたわらに、今もひっそりと建っています。


東京湾要塞第1区地帯標 
要塞地帯は第1区~第3区からなり、距離により区分されていました。


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