2012年8月13日

戦後67年終戦の日特集 館山市の戦跡15 「洲崎第二砲台」

東京湾要塞を構成した砲台が、現在の館山市内には、洲崎第一・二砲台と2つありました。


東京湾要塞の配置図
⑧洲崎第二砲台 ⑨洲崎第一砲台

名称とは逆に、洲崎第二砲台のほうが古く、大正13(1924)年10月に工事が始まり、昭和2(1927)年3月に完成しました。

洲崎第二砲台は、敵の軍艦から見つからないように、坂田漁港南方にある深い谷間の、標高が低い位置につくられました。


洲崎第二砲台と洲崎第一砲台の位置
浄法寺朝美『日本築城史―近代の沿岸築城と要塞』(1971)より転載

現地に行くと、大砲をどのように撃ったのかと疑問が湧いてきますが、技術の進歩がそれを解決しました。

旧陸軍は、日露戦争以来、二八糎(せんち)榴弾砲(りゅうだんほう)を使用していましたが、大正時代に七年式三〇糎長榴弾砲を開発し、垂直に近い角度で撃てるようになったため、このような場所への設置が可能となったのです。



七年式三〇糎長榴弾砲


しかし、航空機が戦争の主力へと移りつつある時期と重なったこともあり、実際に使われたことは一度もありませんでした。

昭和13(1938)年、榴弾砲のうち3門は、現在の中国に駐留していた関東軍に、1門は横須賀の陸軍重砲兵学校へと移され、施設だけが残されました。

砲座は、谷間に沿って8m間隔に、4基が一直線に並んでいました。

終戦直後、米軍により破壊されましたが、2基が現存しています。


今も残る一番南側の砲座跡

また1基は住宅の下にあり、区画のみが残っています。


住宅の下に残る区画の跡

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